肥前杜氏の手造り純米酒

 地酒の店・酒仙境みつる

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酒 仙 境




   

       目   次


NO、41 嗜 酒                          酔 櫻

NO、40 日本酒の思い出                        大前香誉子

NO、39 酔鷹酒談義                           酔鷹鮫島弘充

NO、38 日本酒の会                           石丸光二

NO、37 今、酒に寄り添う日々です                  小一粒

NO、36 あれー、これが日本酒なん?                TAKASHI

N O、35 俺流酒考 =駄句に託して=                   枚方 喜苦人業

NO、34 点描・日本酒の風景=その3=               空の理

NO、33 点描・日本酒の風景=その2=               空の理

NO、32 点描・日本酒の風景=その1=               空の理

NO、31 酒の友、次さん                         渡辺敏夫

NO、30 目立たないお酒の由!                  燗ちゃん

NO、29 日本という国の光ある道つくり                新宿区四谷『酒徒庵』店主

NO、28 ひやおろし                            とみー

NO、27 浪漫かほるニッポンの酒                   松木津々二                  

NO、26 日本人に生まれて                               ササ

NO、25 人生における酒の魅力                    ヨシキック

NO、24 日本酒と刀の共通点                     直居戦太郎

NO、23 お酒と魂                            悠々と

NO、22 宵の月夜の                          悠々と

NO、21 日本酒をつなぐリンク                     こやなぎ名人

NO、20 日本酒の甘さ、辛さ                      碧龍

NO、19 酒の詩歌句サイトと酒本ライブラリー            淀風庵

NO、18 お酒は人の心を開く妙薬                          レオ

NO、17 だだみの思い出                        こやなぎ名人

NO、16 地酒を求めてぶらり旅                    風 車

NO、15 我がGINJOとの出会い                   松木津々二

NO、14 主食と味覚と遺伝子の結果論               池田芳輝

NO、13 再会・未来へ                         酒仙婆

NO、12 薔薇色の酒                          休 甫

NO、11 呉市・千福/蒲刈島・西條鶴/岡山・酒一筋        向川 敏

NO、10 とっておきの場所                       松尾守蔵

NO、 9 私の好きな酒                         大嶋仁(比較文学者)

NO、 8 平成吟醸会の思い出                     淀風庵

NO、 7 山の貧乏仙人の手紙                     草舎人

NO、 6 酒とうつわ                            からつ焼 炎群・碇 宏八郎

NO、 5 君の瞳に乾杯!                        碇 宏八郎

NO、 4 米雑感                              碇 宏八郎

NO、 3 ああ愛しき日本酒よ                      川崎 あつみ

NO、  2 こどもの夢はわたしの夢                          休 甫

NO、 1 松 蔭                              中島 美雪



NO、41 嗜 酒                               酔 櫻

 

酒はほろ酔い、花は半開き、月は叢雲に見え隠れ。

なにごとも完璧完了では味気がないもの。

酒もまた「もう一杯」というところで盃を伏せるのが粋というものでしょうね。

しかし、これが若い時にはなかなかできないし、付き合い酒ではまたこれも難しい。

ある程度年を取って善き酒友(とも)を得て旨い酒に出会わなくてはいけない。

まずは自分というものをしっかり持っていなければならないというのが大前提ではあるが。
『嗜酒』は禅の修行にも似たものかもしれません。

しかし、硬くなることなく暗くなることなく匂うような色気をかんじさせるゆとりもまた結構。

この境涯に至るにはやはり日本酒しかありませんねえ。

古肥前松浦(いにしへ ひぜんまつら)の黒髪山に酒仙あり。

聖賢同人を庵に招いて天の美禄甘露を喫す。

一杯一杯また一杯。

名月を浮かめて大盃は廻る梨園桃園の中。

酔うては琴瑟を奏で詩を吟詠し月下に舞う。

聖賢君子の酒などや楽しからん。

天神歓喜して降り立って天下泰平を寿(ことほ)ぐ。

弥増しに出でて尽きまじ月下松寿の酒は肥前にあり。








NO、40 日本酒の思い出                             大前香誉子


 

日本酒と聞いて、真っ先に思い浮かぶのは、今は亡き父の顔です。

 父は、お酒、特に日本酒が大好きで、365 ほとんど欠かす事なく

日課のように飲んでいました。

NHKの朝ドラ『あさが来た』の主題歌、 365日の紙飛行機』が話題

ですが、父は まさに 365日の日本酒』

 

築地の青果市場に勤めていたので、朝起きるともういません。


その分帰りが早いため、学校から帰るともう飲んでいました。

 休みの日は朝から一杯です。 子供のころは、それがすごくイヤ

 でしたが、成人して一緒に飲めるようになってからは、

 楽しく晩酌を共にしていました。 いつも機嫌よく喋り、

 冗談を言っては、みんなを笑わせていた父。

高校野球が大好きで、夏は冷で一杯やりながら 楽しそうに

観ていました。 メートルが上がるにつれ白熱していき、

 
父と高校野球を観るのは、本当に楽しかったです。

 「お父さんが監督だったら、サインはひとつだけだ。飲んでかかれ!」


と、右手でオチョコで飲むふりをしてから前を指差しました。

これには 妹と大笑い! 「飲んでかかれ!」は、今でも遺言より強く

胸に残り、姉妹の教訓となっています。

 

昭和一桁だった父は、曲がった事が大嫌い、お世辞も嘘も大嫌い。

たまに、大きな声で怒鳴ったりもしましたが、親戚が集まる

結婚式や法事などでは、とにかく人気者でした。

 普段は、めったに会わない親戚や知り合いの方々とも、


お酒が入ると和やかになり、あっという間に盛り上がります。

 嬉しい時、悲しい時、お酒が進むほどに、一緒に泣いて笑って、

 心が通っていきました。 妹の結婚式で、三三九度のあと、

 親戚一同で頂いたお神酒は、涙と一緒に胸に流れていきました。


あの味は、今でも忘れられません。

 

そのうち私も結婚し、父と飲む機会も少なくなりました。

 主人が出張の時は、子供を連れて 実家に泊まりにいきましたが、

 父は私と一緒に飲むのを楽しみに待っていてくれたようです。

 
「お、買っといたぞ」と、当時私が好きだった
『菊水の純米』を

 ニコニコと出してきてくれました。 母の手料理で、父と飲んだ

 
お酒は 本当に美味しかった。

そんな父でしたが、68才でこの世を去ってしまいました。

 
亡くなる2日前まで、元気でお酒を飲んでいたそうです。

 

定年後は、母と2人で 住み込みで独身寮の管理人をしていました。

 寮生達 ( 20?30代の独身男性) とも よく飲んでいたようで、

たまに私が帰ると、必ずといってよい程、寮生が何人か来ていました。

みんな気持ちのいい青年達でした。

 

父のお通夜は、寮生達が手に手にお酒を持って集まって

「おじさんは、賑やかなのが大好きだったから」と、

 大宴会となりました。 特に父が可愛がっていた隣の部屋のSさん。

 
大の日本酒好きで、2人でよく飲んでいたそうです。

  海外出張の前の日、おじさんが来て、おい、これ持ってけ!と、

 柿の種と大関のワンカップを置いってってくれたんだ。

 出張先のホテルで、ひとり飲んだあの酒は 美味かった!」と、

 泣きながら話してくれました。

 

笑いあり、涙あり、一緒にお酒を飲んだ思い出は 数知れません。

 今でもふっと、お化けでも夢でもいいから出てきてくれて、

 父と一緒に飲みたいなぁと思います。

 残念ながら、一度も出てきてはくれませんけども。 きっとあの世で、

 亡くなった叔父、叔母、友人、震災で亡くなった寮生達と、

 
楽しく宴会をしていると思います。

お酒は色々ありますが、私にとって日本酒は、父と嬉しい時悲しい時、人生の節目で味

わってきた
特別なかけがえのないものです。

 





NO、39 酔鷹酒談義                              酔鷹鮫島弘充


豊穣の緑野に黄金の花を咲かせる米と、

清冽な水とを使って「麹」という蔵の神が、

杜氏の手を借りて醸すのが大和の酒である。               

...

先ずは「神酒(みき)」として神に捧げられた後

「直会(なおらい)」という席に下げられ、

神と共に飲ませていただくものである。

決してバカ騒ぎドンチャン騒ぎをしながら

飲むアルコール飲料ではない。   


山谷(さんこく)に結んだ庵に座し名月を望んで、

琴瑟を奏(かな)で詩を吟詠し、風雅を嗜む友と静かに

嗜(たしな)むものである。

放歌高吟などは断じて慎まなければならない。・・・・と、

悟りの境地に至るには幾星霜を経て数々の辛酸を

舐(な)めなければならない。

はい、不肖わたくしもそうでございます。


とある青年経済人の友好団体に所属していた時は、

夜毎遅い時間まで飲み歩き、底が浅い人生論などを

声高に吹聴して顰蹙(ひんしゅく)を買っていたものです。    

ああ、思えばなんと恥ずかしい思い出の数々。。。。

冷や汗一斗。同じ一斗なら酒の一斗がいいな。
 
私は辛口(日本酒度+3)くらいが好きです。

これくらいが日本酒独特の芳醇さも味わえますから。(笑)






NO、38 日本酒の会                                                    石丸光二 
 


1018日、佐賀市の鳥よしで日本酒の会に参加させていただきました石丸です。

先日は美味しいお酒をありがとうございました。私はつい最近、日本酒のファンにな

ったばかりの「にわかファン」でして、全く知識がありません。でも日本酒がとても美味

しいものだという事は、はっきり分かります。

 
 
昨年12月、知人の快気祝いの席に呼ばれて初めて鳥よしさんに行きました。

その席で出された日本酒にいたく感動した次第です。「これが日本酒なのか?」と目

を・・・いや舌を疑ったのでした。自分が知っている日本酒と全然違う。ちょっと甘めの

ワインみたいで、すっきりしていて・・・宝石のような味でした。


 もちろん宝石は舐めたことありませんが、自分にはそんな風に感じられたんです。

元々、アルコールに弱い私にとって、日本酒はもっとも飲みたくないお酒でした。子供

のころ、実家で何かの宴会があって、燗酒を飲まされた時の印象があまりにも悪すぎ

て・・・。

 
当時は子供でしたから、当然酒の味が分かるはずもありません。しかし大学生にな


り、社会人になっても日本酒が美味しいと思ったことはただの一度もありませんでした。

何かこう・・・べったりとしていて、味も何だかよく分からない変な感じだったんです。だか

ら普段飲む酒と言えばビール、焼酎に行ってしまいがちだったんですね。


 今思えば、ちゃんとした日本酒を知らなかったんです。


先日、日本酒の会で飲ませていただいた松浦一さんのお酒はどれも美味しかった

です。その中でも「純米吟醸 松浦一」と「ひやおろし純米原酒」が好きでした。すっき

りと飲みやすくて、果物のような爽やかな味でした。

 

自分にはお酒の味が、舌の上で図形を描く感覚があります。横に広かったり、ひし

形だったり、丸かったり・・・。会でいただいた中で、「純米吟醸 松浦一」と「ひやおろし

純米原酒」は、自分の中ではひし形。しかも少し丸みのあるひし形でした。多分その

形が、自分にとって宝石のような味なのかなぁと感じています。舌の上で縦横に

バランスのとれた美しい形。つまり美味なんです。こんな感覚って変ですかね。

 

佐賀には美味しい酒があると、ずいぶん前から聞いていました。そしてそれは本当

でした。世界でも評価を受けている佐賀の美味しい酒は、国内ではまだまだ良くは知

られていません。

 
佐賀に生まれ、佐賀で育った自分は、身近にこんなに美味しい酒がある事を誇り

に思いましたし、全国のみなさんに広く発信していかなきゃなって思いました。

 
ものづくりに携わる方は皆さん共通していると思いますが、いいものを作るには、ず

いぶんご苦労があると思います。その苦労がきっと美味しさに繋がっているんでしょう

ね。私たちが笑顔になれる美味しいお酒を、これからもよろしくお願いします。
 



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NO、37 今、酒に寄り添う日々です                              小一粒 
 
 大昔、交際を始めて彼が典型的な左党だと知った時はちょっとびっくりでした。

農家に育った私は、子供のころ母が米麹で作ってくれた甘酒をすすったのが

酒との出逢いと言えましょうか。両親とも、酒好きではなかったと記憶して

いたので、彼氏が酒飲みと知り戸惑ったのです。

でも恋は盲目とか、恋人が美味そうにするビールを私も付き合うべし、と意を決して口にしました。

グラス半分が一杯になり、2杯に増えるまで半年とかかりません。

最初は苦かったビールが、そうでなくなり、結ばれた頃には中ビン1本は飲めるまでになりました。

 
 高校に勤めていましたので、疲れて帰ると、まず冷えたのを一杯飲んでから夕飯の支度に取り
 
掛かる知恵もつきました。

夫は、夕食のメニューを見て、取りあえず乾きものでビール。後は豆腐料理やおでん、魚系なら日本酒、

肉系なら焼酎と飲み分けます。

夕食後も、阪神が負けた、勝ったと言ってウイスキーロックを始めます。こんな夫に付き合う間に私も、

ビール以外に、純米酒や麦焼酎が美味しく感じるまでに成長(?)しました。
 

先日、彼が一升瓶を取り上げ「今日は、珍しい酒をいただこう」とグラスになみなみと注いでくれました。

普通なら滅多に口に出来ない「あらばしり」とか。 見ると泡立っていてシャンパンのようです。

含むと心地よく、のど越しもいい。 日本酒とは思えないくらいで驚きました。

 「酒を飲ま(め)ぬのは人生の喜びの4割を放棄するに等しい」を持論とする夫程ではありませんが、

私も「酒は人生の良き友、長くお付き合いしたい」と思うこのごろです。 


 
                         

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 NO、36 あれー、これが日本酒なん?                     TAKASHI
 


「あれー、これが日本酒なん?」                  

「そう、これが日本酒、純米酒というんだけど」

「へぇ、おいしい! いままで宴会の時呑まされてたのは、なんやったん……」

日本酒はおいしくなくて、悪酔いする酒というイメージは、いまだに若い女の子の間に常

識のようになっているようです。日本酒を飲みに行こうと誘うと必ずいいイメージがない

のか断られます。とっても悲しいことです。

それを押してダメもとで飲みに行った時、聞いたのが冒頭のセリフなんです。


「じゃ、つぎにこんなのもあるよ」

「うわァ!めっちゃええ香り、それに柔らかい味」

「それって、純米大吟醸なんだよ」

最近、気の利いた飲み屋さんに行くと純米酒を中心に純米吟醸、純米大吟醸とメニューを

揃えてくれています。もちろん銘柄もいろんな地方のものが入っています。

「おんなじ純米大吟醸と言っても、酒蔵が違うとまた味わいが違うからね……」

やがて、かつての日本酒からの警戒心が薄れて、女の子の耳たぶが仄かにピンク色になっ

てきました。

いいですか、知らないんですよ。日本酒の本来のうまさを、というよりか、ホンマの日本

酒を知らないんですよ。女の子ばかりでなく男でも同じこと……。

お酒、つまり、“いわゆる”日本酒を飲み始める舞台はだいたいが居酒屋です。ここで宴

会でもやろうものなら日本酒なんて、あれは金輪際飲めないと烙印を押されるに決まって

います。“いわゆる”日本酒も、「あれー、これが日本酒なん?」と女の子が驚く日本酒

も同じ日本酒という「くくり」の中にあります。


日本酒以外にはいろんなお酒があります。例えばワイン、はじめからそこそこのお値段で

す。そんな高級感もあっていい感じで飲まれています。外で飲むときもかっこいい場所

(お店)で飲まれます。おしゃれです。

日本酒が出される多くのお店には“いわゆる”日本酒を出す店と「あれー、これが日本酒

なん?」と女の子が驚く日本酒を出す店の区別がつきません。

「わァ、これなに?これがほんまの日本酒?」

と多くの女の子に言わせるには、誰がどうしたらいいのでしょう。日本酒は日本人のお酒

なんですけれど……。



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  N O、35 俺流酒考 =駄句に託して=            枚方 喜苦人業

「親父似を認め誇って今になり」

酒をこよなく愛し、飲み続けて60年余、飲んだ酒量を思うと我ながら気が遠くなりそう。

酒飲み(この呼称には蔑みを感じるが)の素質は父から受け継いだ。


「闇雲に1升空けた19才」

大学で運動部に属した頃、酒の強さを競うムードあり。「強い」は1升飲めるか否かがその基準。

同僚2人の目の前でこれをクリアしたことがあった。

2時間足らずで肴は無し。何しろ食費をケチっての愚行だったから。


「飲むことが仕事勇んで日々励み」

就職した広告代理店の老舗M社で、灘の大手K酒造の企画調査を担当した数年間は、

清酒市場の質・量的考察に努めた。連日、商品研究と称して居酒屋通い。


「この天地瑞穂の国へ授けもの」

「国ごとに名酒ありけり倭に清酒」

「米が原料(もと)美味芳香は神秘的」
 

縦から横から眺める間、丹精込められた日本酒への愛着・憧憬を深めた次第。

ビール、ウイスキー、ワイン等色々あるが、日本人には何と言っても米から作った日本酒が一番。

理屈は不要。祖国へのノスタルジーを感ずるのは俺だけか。


「何故酒を飲む?と聞くのか野暮いうな」

「酒がある俺がいるんだ文句ある?」

「酒は飲め飲まれるなだと放っとけや!」

「胸襟を開く薬を酒という」(山本膵公)

「徳利の重さ感じて笑みこぼれ」

「燗酒を2本ペロリと美人秘書」
 

20・30代のビジネスマン、40代以降の自営時代、酒はコミュニケーションの潤滑油であり、

人脈造りの特効薬、仕事上の必需品だった。 一時、根っから日本酒党の若妻君に仕事を

手伝ってもらったことも。


「下戸の妻煽り励まし飲み仲間」

「酒飲まぬ無味乾燥な友敬遠」

65歳でビジネスの一線を退いてからも酒への愛好は一向に衰えないが、古希をすぎてからは

体力と相談、量より質(シチュエーション)を志向する傾向あり。

妻子と、隣人と、同好の士と酌み交わし歓談に次ぐ談笑、乗れば放歌高吟。


「あれこれと理由探して今日も飲む」毎日であり

「肝臓に会って一献捧げたい」(大木俊秀)心境でもある。 
 

                                以上。  


                        

                                     ページ上部へ戻る



NO、34 点描・日本酒の風景=その3=                         空の理 
 (ヘ)世界の酒、日本酒!
 
数年前の夏、インドネシアのB島に遊んだ。会員制のクラブに滞在して3日目、夕食の

テーブルに外国人客らと同席した。無料のビー
ルとワインを多飲する日が続き、日本

酒が恋しくなっていた。

近くの日本人紳士にその旨話すと「同感です、実は日本酒を持って来ています。部屋か

ら取って来るのでここで飲みましょう」となったのである。持参された1升瓶(灘H)

を開け、ワイングラスで乾杯すると同席の連中が注目した。「ジャパニーズ ワイン」

と言う。?? 「イッツ ベリー テイスティ。ドンチュー トライ?」(美味いです

よ、試しますか)


氏が数個の新しいグラスに注ぎ、皆に配った。オーストラリアの2人連れの若者、オラ

ンダ人の夫婦、ハネムーン中の韓国人カプル等である。


「乾杯!」の音頭で各自が口に運んだ。期せずして全員が笑顔で拍手。心底喜んでいた

。中にはお代わりする者も。日本酒が外国人にも好かれ、世界で通用することが垣間見

えた次第。



(ト)「もういくつ寝ると・・」

 
日本人にとって1年で一番嬉しい日は元日だろう。幼少時は雑煮、お年玉、カルタ遊びなどが待ち遠しく、

童謡のごとく指折り数えて待ったものだが、還暦を過ぎる頃から元日は堂々と朝寝朝酒、朝湯を楽しむこ

とに決めている。庄助並に。


選りすぐった山海の珍味からなる多彩な節料理を肴に日本酒を酌む。日本酒がこれ程映

えるお膳立ては無い。正に至福の時である。


平成24年も1週間後に迫った。今回も「元日は 小原庄助 真似て明け」ることは

間違いない。(了)



                        

                          ページ上部へ戻る




NO、33 点描・日本酒の風景=その2=                         空の理 

 (ニ)色々な飲兵衛たち
 
食塩をかけたトマトを肴に熱燗に舌鼓をうつ個人企業の社長。大抵納豆をつまみに冷やを嗜む

サラリーマン。

「私、これの味噌が好きなんです」と茄子の田楽で2合便徳利をぺろりと空けるOL君。「ガツガツ食う

奴は酒飲みじゃない」とウニか塩辛しか所望しない広告マン等、肴の好みは様々だ。中には酒は燗に

限ると真夏でも燗酒しか口にしない大学教授、小さい猪口嫌い、湯飲みかグラスでグイグイ煽る労働

者。漱ぎと最初は必ずビールを1杯飲むイケメン・・・。
 

大阪北の歓楽街や環状線の各駅(天満、玉造など)界隈の居酒屋で多くの呑み助諸兄姉を見かけた

。一人で、二人で、数人で、作法は違うけど、それぞれの流儀で日本酒を楽しむ光景を見ると訳も

無く嬉しい。


 因みに自分は食物に一切好き嫌いは無いが甘い味の肴だけは苦手だ。居酒屋には大抵2,3の友

人と入るが、冬は燗、春夏冬は常温、肴は湯豆腐、漬物(の盛り合わせ)が好き。懐が許せば大好物

の魚介類の造りを奮発することも。かっては1升近く飲んだが最近では3〜4合というところ。


(ホ)雪見酒
 

「降りましたね」「ハイ、積もっちゃいました」「飲りますか」「勿論!」

一面が雪に覆われた白い朝の、W氏との電話のやり取り。これで十分通じる。

W氏は拙宅と6m道路を隔てた向かいのご主人、間もなくどちらかの家に両夫婦が酒と食べ物を持ち

寄って合流、雪見の宴となる。当地に積雪は珍しいがそれだけに雪景色は貴重、万障繰り合わせ

(?)ての開宴だ。


氏は籾まき→田植え→収穫の稲作から酒造りまでの経験サークル(隣市のD酒蔵主宰)の会員で

根っからの日本酒党。

片や、広告代理店時代に灘の名門K酒蔵の 広告・販売戦略に携わった自称、清酒通。

「瑞穂の国の文明のシンボル、日本酒を愛さずして何が愛国心だ」

「そう、米の国日本に生まれた男児たるもの、この美味さが解らぬ筈はない!」
 
日本酒礼賛の話題、気炎は何時までも続くのである。  以上


                         

                                           ページ上部へ戻る





NO、32 点描・日本酒の風景=その1=                       空の理   
 [イ]
2011年11月3日夕、前日から友人たちと福井方面を旅行した妻が、笹カレイ、干鱈、おぼろ等の海産

物と湖北の銘酒を土産に帰宅した。

早速、彼女が焼いた小振りのカレイとおぼろを肴に純米酒「北国街道」を飲み始め、早い晩酌となる。

「美味い・・」 年に数回グループで旅に出る妻が、行き先の地酒と特産物を持ち帰るのが習わしになって

いて、朝から楽しみにしていた。文化の日とて先日書き始めたエッセイを脱稿した充足感も手伝って、殊

更、美酒美肴となった。妻の土産話は次の次、相槌だけは連発したが・・。

[ロ]
夕方5時を告げるサイレンが山の向こうの役場から聞こえた。

「A君ら、本部に集合、作戦会議が始まるぞ」Y氏が大声で指示をくだしたので

弟と本部(?)の丸木小屋に入った。藁束や農機具の空いたところに作業台があり、1升ビンと湯飲みが

いくつか伏せてある。「Aちゃん、大学生は酒飲むやろ」 と僕と氏の湯飲みに酒を、弟のにはお茶を

注いだ。

「今日の作業は終了、お疲れ様、乾杯!」 酒を口にするのはこれが生まれて初めてといっていい。芳香

、甘い様な酒を飲んだ。旨い。用意された焼きスルメを齧りながら1度お代わりをした。話題は氏の質問

で専ら京都での大学生活のこと。楽しい談笑となる。何が作戦会議か。

未成年(19歳)ながら、大人として認められた(酒を勧められた)ことがとても嬉しかった。何しろ村の長老

(50代)と酒を飲んだのだ。これは重い・・。
 

昭和33年7月、大学1年の夏休みに京都から山陰の田舎に帰省、村の旧家Y氏から、バイトで圃場整備

の作業手伝いを頼まれ、弟と参じた時のことである。 数ヶ月ぶりの故郷、山々の黒いばかりの緑、鼻を

突くような土の香と共にあの美禄の味は忘れられない。

[ハ]
定年退職をした学友を出身地の青森に訪ね、夫人運転の車で津軽を縦横に巡る途中、下北半島沿いの

漁村の店で休憩した。友人の薦めで、海水槽で動いているホタテをいくつか刺身に、いくつかを焼いても

らった。 そして地酒(銘柄失念)。文句なし! 生きたホタテで地元の銘酒。

5月の下北はまだ春には遠く、黒く低い雲が立ち込めていたが、この時の飲酒の印象は、格別深いもの

がある。



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NO.31 「酒の友、次さん」                        渡辺敏夫 
 


かれこれ145年前になるだろうか、次さんに初めて

お会いしたのは、家内の実家がある
越後湯沢で、親戚

の法事の席だった。たまたま隣に座っていたのが次さ

んである。


僧侶の読経も済み、緊張感も解れて、一瞬座も寛いだ

気分になる。さっと一升瓶が次さんの前に置かれ、次

さんの顔が恵比須顔に。


「次さん」は「やどるさん」と読む。旧くからの知り合いの皆さん、

「やどさん」、「やどさん」と親しげに呼んでいる。

最初、「やどさん」と聞いて、てっきり宿六の宿と勘違いしてしまう。


こちらも嫌いではない酒、初対面ながら、一緒に飲み始め、一升瓶を二人で

空けてしまう。これが付き合いの切っ掛けとなる。


次さんは、若かりし頃、素人相撲をやられ、新潟県を

代表して国体にも出ておられる。


それだけにがっちりした体格の持ち主。その割に、何

とも言えぬ柔和な笑顔。これが魅力で、しかも力仕事

を喜んで引き受けてくれるので、皆さんの評判は良い。


当時はまだ旧国鉄にお勤めで、電力関連の業務をされ

ていたが、その後定年退職。桐生に土地を買い求め、

家を建て、沼田から住まいを移し、近くの農家から休耕畑を借り受けて、

農作業に精を出される。新たな人生を送られている。



同じころ、私も高崎郊外の山村に小屋を建て、時間を

作って、月に1度程度出かけるように。ここ数年は出

かける前に、次さんに電話を入れておくと、滞在中に

必ず1泊か2泊の予定で桐生から車を飛ばしてやって来

られる。


いつも必ず一升瓶はもちろん、朝採りの新鮮な野菜を

山ほど抱えて顔を見せる。大変有難い事である。日中

                 は薪割りや庭木の庭仕事など、力仕事を引き受けてくれる。

孟宗竹を水上の知人の所から取り寄せ、藤棚を作ってもらったこともある。

蒟蒻芋を持参され、一緒に蒟蒻作りに挑戦したことも。

ひと汗かいた後は湯につかり、いよいよ宴会の席となる。

飲み上手というか、絶妙のタイミングで酒を注ぎ、実においしそうに飲まれる。

こちらもそのペースに合わせ、気分よく酒が味わえる。まさに酒の友である。




                      
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 NO.30 目立たないお酒の由来!                                燗ちゃん
 

この街の商店街にも酒屋さんが3軒あった。周りにも立派な酒屋さんたちがあった。

大きなスーパーが廻りに10件ぐらいできた。車で行けばすぐだもんな!コンビニなんて

あっちこっちにあるし、デイスカウントだらけだし、世の中は酒屋さんだけでなく、商店街

にも想定外の事が起こったもんだ。
 
 商店街の中と言ったら、チェーン店が色々できたし、整体のようなお仕事が増えたし、

安心して自分のうちの商売を継ぐ人がいなくて、やめて行く人が多くなった。競争が激し

過ぎる世の中だ。


 何でこんなに競争が世の中全体を覆い尽くしちゃったのかしら?自分たちの首を絞める

結果にいつしか回って来る。今は買ったつもりで喜んでいる人も、いつの日にか若い頭の

良い体力のある人に変わって繰り返して行く。
 
 長閑さは日本から消えていく。荒廃した殺伐な風景が心の底から動き始めている。日本と

言う気候風土からまるでかけ離れた精神が日本人の心に襲いかかっている。よその国の

心が日本人の心にとりついて日本人を非常に困らせている。その事に気付いていないで

毎日が過ぎていく。とてもついて行かれなくなってしまった人達が順番に命を誰にも語れずに

消えていく。凄い悲しみが世の中を覆っている。

 
 これは心の問題だぜ!心が変われば四方八方を広大な海に囲まれて緑豊かな山々が

青い空に向かって太陽に愛され、とっても美しい川や湖に包まれて豊かな大地からは、

世界に羨ましく思われる農作物と文化は生れて来た。その心が一人一人の心から枯渇して

いる。先ずはその事を一人一人の心の中に取り戻すこと、気がつく事、灯を点火する心の働きが

重大です。

 
 心の奥底に誰でもセットされている無邪気な子供のような人懐こい日向のような優しい日本

の心をふとおもいださなければ!五感を自分にぴったし合わそう!遠い昔、この国に生れた

人は知っている。天に目に見えない存在に酒を捧げたことから始まった。原点の儀式を思い

出そう。
 
 感謝のしるしとして、この広大な海に囲まれて安心できた人類が求め辿り着いた平和の

楽園の地!すべての感謝のしるしとして清酒の原型が生まれた。無垢の酒のこころを思い

出して徳利とお猪口でしみじみと飲めば思い出すはずだ。

 
 日本人が最も愛した九つの桜の中の桜である山桜のように、真っ白な雪のように、白い

全てのものに合わせる力を秘めて、神に捧げた風土の食べ物を引き立たせて頂く酒!

すべてをよりよく生かす日本の神の飲み物!美味しい酸が全てをまじりあわせて身体の中に

消えていく。
 
 陽が東の空に金色に昇って行く。たわわに実る田んぼのお米は黄金に光る。真っ赤な太陽は

西に沈んで行く。いい国だね!本当!あんまり壊さないでね!日本の自然を! 日本の自然が

壊れる時は私たちの心が壊れる時なのよ!


 流行が幅を利かせる時はろくな状況ではありません?本来を思い出しましょう!流行は

あくまでも主役にはなれないの!ろくな時代ではない!あるべき日本は国酒をしっかりする

ことからも始まるのだ!一人一人の文化を継承する人達が人にその事を伝える時です。

がんばってちょうだいよーーーー!


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NO.29
日本という国の光ある道つくり              新宿区四谷『酒徒庵』店主 
 

 「あなたの国はなにがありますか?」と海外の方に聞かれて、何も答えられない

日本人達がいる。

この国に生まれ見てきたもの、触れたものを常に感謝せずに当たり前の物とし、

海外の文化や物品に崇拝心を置き、自分という一人間の感覚や価値を堂々と

発言できない日本人が本当に多い。

 私は今、国酒である日本酒を提供する飲食店を経営しているが、日々の営業の

中でも、そんな日本人の悪いクセを何回も見ている。

「酒は純米だけが本物」、「有名で高いお酒が旨いに決まってる」、「辛口の酒をくれ!

美味しい酒は辛口で、不味い酒が甘口なんだ」・・・、一体どれだけの偏見を持った

方々を見てきただろう。私から言わせれば非常に勿体無い気がする。


 今から十数年前、私は色恋を主とする夜の仕事をしていた。

店では一本30万円するようなワインやブランデー、ウィスキーが飛ぶように

売れていくそんな世界だ。仕事が終わると自然とそんな空気感とは違う居場所を求めている。

正直このままでいいのか自分の仕事に疑問を抱いていた。


 そんな折り小さな小料理屋に晩飯を食べようと入ったのが人生の転機だった。

そこで私は生まれて初めて『日本酒』を呑んだのだ。

私は鹿児島県の出身なので酒といったら焼酎という環境で育ったので、この初めて

呑む日本酒というものに非常に感心した。お米を原料とするお酒。

 また幸せなことに、この小料理屋には色んな味わいのタイプの日本酒が20銘柄くらいあった。

私は興奮というより感動でそのお酒達を全部呑んでみた。

同じ米の酒でもこんなに味わいが違うものなのか!?


 そこから私はあちこちの居酒屋に行き日本酒を呑み漁った。

本屋に行けば日本酒の本を買い漁り必死で読んだ。

生まれて初めて勉強の楽しさを知った。

 ワインやウィスキーに囲まれて足下にある大事なこの国のお酒をなんでみんなあまり

買わないのだ?呑まないのだ?私はそこで日本人の偏見の多さに触れた。


 よし、自分はこの日本酒達をたくさんの人々に飲んでもらう・・・そんな仕事をしよう!

そう決意し居酒屋業界に飛び込んだ。時代は焼酎ブームになり、日本酒をメインとする

店造りをやろうとしている私の事を周りの同業者達は嘲笑っていた。それでも必ず

日本酒の旨さに目覚めてくれる人が一人でも増えればいい・・・そんな願いを込めて

がむしゃらに働いた。

 時がたつに連れ日本酒のファン、私のファンというものが増えてきた。

そこから一気に人の繋がり、酒の縁が増え色んな日本酒に携わる素敵な同士達に巡り逢えた。


 私は独立を決意した。もっと日本酒をのんでもらいたい。

その願いだけを武器に、日本酒を広める為にはまずは都会・・・東京のど真ん中から配信

しなければそう思い、四ッ谷に店をオープンした。

 お酒は偏見や偏りを防ぎ真に自分の好みを見つけられるよう、大吟醸から純米から普通酒

から古酒から発泡清酒から火入れ、生詰め、生原酒・・・・・・と広いカテゴリーでお酒を集めた。

もっと日本酒に対する壁を低くして、全体的な底上げをしなければ一向に広まらない。

 こだわりを持ちすぎている居酒屋、酒販店は悪いとは言わない・・・が、こだわりを持ちすぎる

ことが更にお酒を難しくして自分達で自分達の首を絞めてはいないか?そんな疑問から色んな

スタイルに挑戦した。


 売り方も一合ではなく色々呑めるように半合サイズの提供にし価格も半分。

必ずお客様にはチェイサーをお出しする。

 色々と挑戦し定着し、店内には700アイテムの日本酒があるが1日に平均30升は空くように

なり回転がよくなり品質管理も入念に行う。店内のライトを全て紫外線カットのタイプに変え、

開詮したお酒もアイテムによっては真空にし、冷蔵庫の管理温度も全てお酒の個性別にわけた。


 まだまだこれからが本番であるには間違いない。もっと多くの人に日本酒を知ってもらいたい。

日本人に日本の文化の素晴らしさをわかってもらいたい。世界中の人に自慢できる国でありたい。

私はこれからも愛する日本酒を武器に突き進みます。


 仕事を終え、私は毎晩銘酒『宮の松』を呑む。『優しく』『温かい』、癒しをくれる酒だから。

まるで胎内なのかもしれない。日本人としての血が自然と日本酒を欲しているのだ。

今日も私は頑張ります。仕事の後の癒しが待っているから。



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 NO.28 ひやおろし                                    とみー
 

 先日マイミクのLUNA夫妻が来てバーベキューをした。

それまではダイエットで断酒してたので酒がないと生きていけないわけでもない。

しかしイベント事に日本酒を選んでくるのは楽しみでしょうがない。

今回バーベキューに持って行ったのは

三重 八兵衛 静岡 海運のひやおろし

あてはあわびと伊勢海老の残酷焼き

あわびと伊勢海老を丸かぶりしたときの快感はなんとも言いようがない。

そして日本酒を流し込む。


 帰ってからはバクライというホヤとコノワタの塩辛と丹波の黒豆で

竹泉の二夏越しと大山のひやおろしを飲む。

バクライを食べて日本酒を流し込む。

磯臭さが消えて最高だ。

これは日本酒にしかできないだろう。

私が選んだ日本酒は好評のうちに宴は終わった。


 酒は新酒も捨てがたいがやっぱりひやおろしが最高だ。

夏の間寝かされて出てきたひやおろしは角が取れてまろやかになっている。

ワインは今でも昔ながらの製法で作られているが日本酒は年々進化している。

今の私たちは江戸時代の殿様でも飲めないような美味い酒を飲むことができる。

 日本酒の可能性たるや未知数のものがある。

日本酒は世界一美味い酒だと思って飲んでいる。

日本文化の一つでもあると思っている。

これを世界中に広めるのが私の夢だ。



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 NO,27 浪漫かほるニッポンの酒                        松木津々二

                             

 私は酒が無くては生きていけないことはない。飲めない日が続いても苦にならないし、

たぶん酒を飲 むことが禁じられたイスラム社会でも生きて行ける。だから、一般的に

言われる「酒飲み」ではないのだろう。
 
そんな私がなぜ日本酒に魅せられ、その歴史まで深く掘り下げ調べるようになったか?・・・

と訊かれたら、それはたぶん日本酒という液体ではなくて、日本酒を取り巻く文化に興味が

あるからと答えるんじゃないかな。


 私は昔から古い町並みを歩くのが好きです。城下町の情緒が残る町並みは特に好きです。

そうした町並みを歩いていると、軒先に杉玉をぶら下げた古い商家に出会うことがある。

中を覗くと、屋根裏まで吹き抜けになった大きな梁組みの土間や、のれんを掛けた奥の

蔵への入口が見える。

 酒びんの入ったプラスチックの箱が積み上げられ、フォークリフトの動く音が聞こえてきても、

時代錯誤のミスマッチを感じない不思議な魅力―。時代劇に出てくる東映京都撮影所や日光

江戸村などのオープンセットの町並みを歩いてもそれはありません。

 本物の魅力というものは、その時代時代の積み重ねが切り株の年輪のごとく見えるところが

あるから、歴史や重みを感じるのかもしれませんね。


 日本酒の消費量が年々減ってきたのは、人口の減少や若者のアルコール離れ、食生活の

変化、酒類の多品種化、嗜好の多様化などと、いろいろ理由づけをしていますが、一番大切

なことを忘れているのではないでしょうか?日本酒は、幅広い多用途性のある醸造酒。

これだけ素晴しいものを造りあげたのだから、分かりやすく説明し、世界の醸造酒のどれにも

負けない高いポテンシャルを示せば良いのです。

 日本酒には刺身とか和食とか言わないで、ブルーチーズとかカルパッチョとか、イタリアンでも

フレンチでも、こんなに合うんだってことを示せばいいんです。今の日本酒はもう昔の日本酒

じゃないのです。

 

 これまでの伝統や形式にこだわることなく、幅広い用途に対応できる醸造酒にまで発展させた、

技術立国ニッポンの酒であることを誇ればいい。それを全面に押し出して、世界のメジャーな

醸造酒の中に入って切磋琢磨すれば、必ずワイン

にもビールにも負けない「SAKE」になるハズです。日本酒は、すでにそれだけのポテンシャルを

持った酒になっています。

 ヘンな伝統だとか、のれんの古さだとか、どれだけ長いあいだ酒を造って来たかではなく、どれだけ

良い酒造りにまい進して来たかが誇れるような業界であって欲しいのです。世界が認める「SAKE」に

なれば、必ず日本の若い人たちも日本酒に目を向けてくれる。それは今までにはない飲み方であり、

料理との組み合わせであるかもしれませんが、それがこれからの日本酒の姿なんです。


 いろいろと書いてまいりましたが、今の日本酒はけっして時代遅れの酒でも、古くさい酒でもあり

ません。むしろワインやビールに比べたら、はるかに「新しい酒」なのです。そして、まだまだ未来に

向けて進化していく余力を持った酒です。

日本酒は、世界中で飲まれるメジャーな酒になるポテンシャルを秘めた若き醸造酒であるのに、」

これを陳腐化させて日本の若い人たちから見向きもされない酒にしているのは、今の日本酒が

持つイメージなのです。


 これからは「ダレのための酒なのか?」を考えた、新たなマーチャンダイジングに挑戦する意欲を

持つことです。

 「日本酒は世界に誇れるニッポンの技術で醸した酒」このことを関係者みんなで考えていけば、

必ず復活する日はやってくるハズです。

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NO.26 日本人に生まれて                                       ササ
 日本人に生まれて、良かった、そう思いませんか?

自分は昔から食べること、美味しいものが大好きで、飲める年齢になってからは「美味しいお酒」も

もちろん好きになり、今に至っております。そして、自分の「美味しいお酒」の範疇は決して狭いものでは御座いま

せんが、何か一つだけを選べと言われれば、やはり日本酒です。

 なぜ日本酒かと言われれば、その理由は簡単で、「世界で一番おいしい穀物の米と世界一の

技術を通じて作られたお酒だから」。

まず材料、即ち、お米についてですが、お米は品種にかかわらず、茹でる・炊くだけで主食となる

穀物でしょう。

 世に穀物と呼ばれるものは米のほかに、大麦、小麦、豆、キビ、粟、高粱、玉蜀黍と色々と

ありますが、そんな、茹でる・炊くだけで美味しく戴ける穀物はそうはないでしょう。

例えば、小麦の場合、粉にして捏ねて、発酵させ、さらに焼かなければ食べられません。

そう考えれば、米が世の穀物の中でも美味しいものであるに決まっております。

そう考えますと、日本酒が穀物の中でも世界一の材料を使ったお酒なのだということは、

(少し強引ながら)間違いのないことなのだろうと思われます。

 次いで、技術、こちらは、原料のお米に関する技術についてと、お米を日本酒に昇華させるための技術の

二種類があると考えております。

 まず、原料のお米に関する技術。

こちらは、弥生時代以降、営々と栽培の工夫が研究され、品種の改良も加えられてきたわけです。

そして、お米を日本酒に昇華させるための技術。

こちらは、お米を原料に昇華させる洗米や蒸しなどの加工技術、原料を日本酒へ進化させる

麹造りや酒母造り、 醪造りといった生物学的な技術、そして、日本酒を一級品の酒へと仕上

げるための熟成や火入れと言った技術・・・。既に皆さん御存じの通りのことと思われますが、

この技術の高さは世界的に見ても極めて高いものと思われます。

 以上は、もちろん、自分がそもそも日本酒が好きであるため色眼鏡は入っているものの、一つ一つを

考えるだけで感動を覚えるほど素晴らしいものと思われます。そんなことを考えながら、そして、日本酒を

自分の口に届くまでの多くの縁に感謝しながら、今日も自分は一献一献日本酒を戴いております。

いやぁ、日本人に生まれて、本当に良かった。

 ねぇ、そう思いませんか??

                        
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NO.25 人生における酒の魅力                            ヨシキック


1、今までの飲酒体験の中で、嬉しかった酒、元気を貰ったあの日の酒。

@仕事柄日本全国を旅して回る事が多かった時に振舞われる酒の席。

どの地方にもその風土と人間性が折り合って作り出される郷土料理と土地の酒。

和の心がどの地方にも根付いていると肌で感じられる時ですね。


特に脳裏に残っているものは加賀の酒と料理との一献。

日本文化の素晴らしさが凝縮していると実感できた時でした。

マグロの角造りや季節のお造りなどと加賀の冷酒の組み合わせに感動しました。

これに限らず色々な風土の特色を探し出して行きたいと改めて考えさせられた時でしょう。


2、数ある娯楽の中で、酒でしか表現できなかった酒の魅力。

@やはり美酒に集い、それをテーマにして気の許せる仲間達ととことん語らう・・・。

もちろん初対面の人でも通じ合える何かを切り開いてくれる。

そんな強い絆を編み出してくれる酒にただただ感謝です。


3、今の自分につながる酒の素晴しさ

@若い時分は酒の味もわからず酒豪気取りで無茶酒を繰り返していたものです。

今となってやっと酒の味たるものが理解出来てきた頃だと感じます。

酒の生まれる風土や作り手の方々に醸し出される美酒と称されるものに対して失礼の

無いよう、その味を残るところ無く味わいつくすために体調を管理するようになったこと。

死ぬまで美味しく酒を味わいたいと思わせてくれたところだと思います。

酒仙と呼ばれる大先輩は実際数多く存在します。

ただ酒を飲むだけの会話に留まらず、人生の指針を与えてくれるような方を改めて

「酒仙」とよばせていただきたいと思います。


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NO.24日本酒と刀の共通点                             直居戦太郎

 私は時代劇が好きなので、TVドラマでもよく見るのですが、妙な癖で劇中における俳優の

ちょっとしたしぐさや演技、顔の表情に、ついつい厳しい目がいってしまうほうです。

 例えば、刀を手に持ったり、腰に差して歩く時の格好、女性が刀を受け取る時のしぐさなど。

日本刀は、刃渡り70cm〜80cmの場合 850g〜1400g程度あると言われています。

小学生の頃、遊び友達の納屋に保管されていたホンモノの刀を手にしたことがあり、ずしりと

重く、こんなものを振り回して、よく戦えるものだと思ったことがありました。

日本刀は、大人でもある程度の重量感があり、それを軽々と扱っている様子を見ると、そこに

リアルさが感じられないのです。

(確かに、劇中で使われるのは「竹光」であり、軽いのは分かってはいるのですが、)

以前、NHK大河ドラマで、歌舞伎俳優の市川亀治郎さんが、武田信玄を演じて、鎧姿に、

手に刀を持って、廊下を歩いてくるシーンがありましたが、いかにも重々しい足取りの歩き方を

されていたので、思わずそのリアルな演技に見惚れたことがありました。


同じように、劇中でお酒を飲むシーンが出てまいりますが、ここでも、私のいじわるな厳しい目が、

飲んでいる人の表情にいってしまうのです。

誰しもお酒を口に含むと、独特の刺激性で、一瞬顔の表情が硬くなるといいますか、引き締まる

といいますか、顔面に変化が現れるものですが、演技力のある俳優ですと、ホンモノのお酒を口

にした時のように、一瞬微妙な表情を作られます。


しかし、大抵の方の表情を見ていると、明らかに「水」を飲んでいる時の様相のようにしか見えず、飲む演技はして

も、実際にお酒を口にした時の、微妙な顔の表情にまで演技をされる方は少ないように思うのです。

(劇中で使用されるのは、ほとんど水であることはよく分かってはいるのですが、)

濁り酒などは、恐らく乳酸飲料などが使われているのでしょうね)


そういう意味で、お酒を飲む演技では、三船敏郎さんは抜群に上手かったように思います。

これも、リアルさを追求するにかけては、右に並ぶもの無しと言われた黒澤 明監督の指導で、

ホンモノのお酒を三船さんに飲ませていたのではないかとさえ思っています。

ホンモノのお酒のせいか、はたまた三船さんのホンモノの演技によるものか、今では、うかがい

知ることが出来ないのが残念でもあります。


お酒造りにも刀造りにも共通するのは、それに携わる人が、まず自身の身を美しく清め、全身全霊、

精魂を打ち込めて、ひたすらにその作業に没頭されるところにあると思います。

出来上がった作品は、広く人々に愛され、賞賛され、末永く日本人の魂として受け継がれてゆくもの

であると確信しております。


 最後に、私の日本酒との出会いについて、思い起こすのは、サラリーマンとなって、初めての

忘年会でのこと、美味しい口当たりの良いお酒であったのか、ついつい飲みすぎて酩酊してしまい、

粗相こそしませんでしたが、酔った勢いで饒舌気味になったことがあります。

後で、先輩がさらりと言ってくれた言葉が、以後忘れられないものになりました。

「お酒は飲むものであって、決してお酒に飲まれてはいけないよ」



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NO.23 お酒と魂                                    悠々と

僕が日本酒の味を知ったのは大学に入ってすぐの頃、父が常飲していたお酒をいただいたのが始まりでした。

 本醸造酒はのびやかな風味、仄かでやわらかな香りがしずかにしずかに、生まれ育った奥久慈のゆるやかな

山々や、谷間の平地にざわめく青稲を思い起こさせるお酒でした。

 一番好きだった純米吟醸は、まるで田舎の良家のお嬢さん。素朴でふわりやさしい良い香り、主張しすぎない、

ふくらみのある落ち着ける口当たりで。そして、酔えば酔うほどに香りは深みを増し艶やかに、それは官能的

ですらあるようなエロティックとしか言いようのない展開をする素晴らしいお酒なのでした。

 
大学での一人暮らし、都会勤めをしていたときにも、田舎から取り寄せては気の良い友人たちと酒盛りを

したり、一人味わい楽しんでいたのです。いたのですが、あるときから味の壊れたお酒が届くようになります。

ふくらみのない、雑味の強い酒に対して僕は、「悪くなっているに違いない」そう思ったのです。

 あの素晴らしい酒を造る杜氏さんが、こんな酒を造るわけがないと僕は確信していましたから、あの素晴らしい

酒を管理で駄目にするなんてとんでもないと。

蔵元へ「今回のお酒は駄目になっていましたよ」と親切心で伝えたところ「うちの酒が駄目になっているわけが

ないだろうが!」と、社長さんと喧嘩になりお酒も取り寄せができなくなりました。

 それでも帰省の際に、地元の酒屋さんで買っては飲み、また駄目になっていると落胆するばかり。

一体どうしたんだろうかと3年以上悩んでいた折、あの素晴らしい杜氏さんは、その蔵元を4年も前に離れて

しまっていたのだという噂を聞きました。
 
インターネットで調べてみれば、3年前から新酒品評会受賞ページに、別の蔵元と、杜氏さんの名前が

ぽつりぽつりと載っています。あぁ、と心が晴れたような気持ちになりました。

あの魂の篭ったお酒を造る杜氏さんは、やはり本物だったのだという安堵。またあの杜氏さんのお酒が飲めるの

だと思うと、心が跳ねるようでした。
 
それと同時に、あの蔵元のお酒の、あのやさしいふくよかなお酒は、もう飲めないのだなと胸を締め付け

られるような思いがします。

 今、このとき飲んでいるお酒は次の年にはもう飲めないかもしれない。

そう思うと、美味しいお酒であればあるほど、グラスに注ぐ一杯一杯が愛おしく少し哀しく、自分の五感を

信じて深く深くお酒を理解したいと思うのです。

お酒に篭められた魂を味わいたいと思うのです。

 
お酒に篭められた魂と、魂を篭める杜氏さんに深い敬愛の念を感じずにはいられないのです。

本当に美味しいものに宿る魂を感じたときには、どうか、その感覚を大切に心にしまっておけますように

強く強く願うのです。

 


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NO22 宵の月夜の                                    悠々と

酒は文化だという言葉をなにかの本で読んだことがあります

本当にそのとおりで お酒とは作られた土地の文化を色濃く写す鏡のようなものだと思うのです

日本酒を造った日本文化とはなんぞと 考えればそれは 四季のうつろいだと僕は答えます

月見は十五夜十三夜 それに限ったものではないと 僕は言います

晴れた日の宵 外にでてみれば きれいなお月様が お顔を出しておられます

街灯もない宵闇の中見る月

星空 

その中で飲むお酒

川面に写る信号機の赤青 

ヘッドライトに霞む星を見ながら 飲むお酒

桜吹雪も 

熱帯夜も

稲穂のざわめきも

鈴虫の鳴き声も 

高い空も 

震えながら見る星空も
 
お酒と共に味わえたなら そんなに素敵なことはありません

美味しいお酒は日本文化が香ります

月見の宵に 文化の香り 杯を重ねて 回る季節を愛でましょう

この国に生きていることを ほんとうにしあわせだと 感じる時間です



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NO.21 日本酒をつなぐリンク                          こやなぎ名人

日本酒離れの傾向は、なんともさびしいことです。それと同時に、もう一つさびしいのは、まちの酒店が
次第に消えていくこと。消費者はコンビニや、酒ディスカウント店を利用することが増え、まちの酒店は
廃業に追い込まれるようになりました。

 でも、酒店が消えていくこんな時代に、自ら望んで酒店を始めたSさんという知人がいます。Sさんは以前、

地方の小さな蔵元に勤めていた人物です。でもその蔵元が、とうとう酒づくりが行き詰りました。そこには、

日本酒離れという理由だけでなく、もう一つ、地元の酒店たちの姿勢にもあったようです。

 
 酒店は、できるだけ売上を上げようと考えると、売場の目立つ場所には、どうしても売れそうな酒を並べます。

つまりそれは、テレビでCMを流している有名な酒。でもその結果、地元の蔵元の酒は、目立たない場所に

追いやられます。すると目立たないので、よけい売れなくなる、ということになり、良心的につくられた、おいしい

蔵元の酒が、ついに酒づくりができない事態に追い込まれたのでした。

 それが悔しかったSさんは、「じゃあ、私が酒屋になって、良心的な蔵元の酒を売ってみせる!」と決意して、

6坪の店を始めたものです。そして彼は蔵元を数々訪問して回り、良心的な酒づくりをしていて、しかも日本

酒党の心をつかむ、いい酒をつくっている蔵元に出会ったとき、「私が責任をもってあなたのお酒を売ります

ので、どうぞ預からせてください!」と熱意をもって話し、いくつもの蔵元の信頼を得たのでした。

 
 こうして生まれた小さな酒店は、日本酒党の口コミで話題が広がっていき、遠方からもわざわざ訪れるファン

が増えました。「あの店に行けば、必ずおいしい日本酒が買える!」ということが、日本酒党の心をつかんだ

ものです。そしてホームページも、ブログも開いていないというのに、全国の日本酒ファンから、電話や

ファクスでの注文が、連日舞い込むという店になりました。

 たしかに、日本酒党は、減っています。でも、日本酒を愛する人が消えてなくなることは、絶対にありません。

ただ、日本酒の文化をしっかりまもるには、蔵元の努力と、酒を愛する消費者の支持と、そして両者を結ぶ

良心的な酒店の存在が、必要でしょう。

 そのような日本酒をつなぐリンクが、各地に生まれたら素晴らしいことでしょうね。というようなことを、Sさんの

ところで買った酒を味わいながら、あれこれと考えてみたものです。


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NO.20 日本酒の甘さ、辛さ                              碧龍

 「やはり辛口ですか?」とよく訊ねられます。「いいえ、どちらかというと、甘口(旨口)のお酒が好きです。」

と言うと、皆さん腑に落ちない顔をされます。私のように、日本酒に熱心な人間は、きっと辛口好きだと思

われているようで、酒の好きな人=辛口好きと思いこんでおられる方が多いようです。

 
 最近は、傾向が少し変わってきましたが、それでもまだまだ、(淡麗)辛口礼讃で、辛口の酒の好きな

人が酒の通であるとか、それ以上に気になるのは、酒の甘口・辛口を酒の品質や旨さと結びつけ、辛口の

酒が優れていると思い込んでいる人が多いことです。

 
 私が経験するよくあるパターンとしては、「このお酒、甘口ですね?」と聞かれて、「いや飲み口はさわり

ないけど、喉越しは結構辛いですよ」とか「このお酒、辛口でしょう?」と聞かれて「いやそんなに辛くない

ですよ。結構甘みがあるけど酸味もあるので」等で、人によって、随分、甘い、辛いの感じ方は違うんだな

と実感してきました。

 日本酒の甘い、辛いとはどういうものなのでしょう。

 日本酒の甘辛を判定する指標として、「日本酒度」があげられます。これは日本酒度のマイナスの数字が

大きいほど甘く、プラスの数字が大きいほど辛いといわれていますが、実際には「酸度」に大きく影響されます。

酸が多いと辛く感じ、少なければ甘く感じます。また、「この酒はコクがある」というように表現される、日本酒

の旨み成分の影響や、香りによっても甘辛の感じ方は変わってくるように思います。

 日本酒の繊細で複雑な味は、甘味、辛味、酸味、苦味、渋味といった成分に、香り、旨味が混然一体と

なって表れるものですから、日本酒の味は単に甘い、辛いだけで表現できるものではないと思います。

 人によって甘辛の感じ方は違うと実感してきましたが、では、私の好きな甘口のお酒とはどういうものか

といいますと、口に含んだときにフワッと広がるほのかな甘み(旨味)を感じるお酒で、こういうお酒を飲むと、

ほっとするので、好きなのです。しかし、(日本酒度の高い)辛口のお酒が嫌いというわけでもありません。

もろみを完全発酵させて、糖分を分解しつくした純米酒もろみの日本酒度は必然的にプラスになりますが、

味が切れて重くなく、旨みを感じます。こういう(辛口の)純米酒は大好きです。その反面、味のない(旨みを

感じない)ただ辛いだけの酒はおいしくないので、飲みたいと思いませんね。

 要するに、単に甘口、辛口と区別するのではなく、甘くても辛くても、日本酒を飲んだ時に、その味の旨さと

奥深さについて、あれこれ仲間と語れるお酒が贅沢ないいお酒なのかなと思います。

 そして、課題として、日本酒の味の表現を、甘い辛いだけではなく、もっと、豊かな表現ができるように磨きを

かけなくては…。難しいですけどね。楽しみながら。



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NO.19 酒の詩歌句サイトと酒本ライブラリー                     淀風庵

わが敬愛する酒友が、山頭火という酒の句をたくさん詠んでいる面白い俳人がいるよと、居酒屋で飲みながら

教えてくれたのに興味をもって、『山頭火』(石寒太著)という文庫本の古本(150円)を買ったのが6年ほど前の

ことです。
 
 それではということで、芭蕉や一茶はどんな酒句を詠っているのか、また良寛とか一休禅師やら若山牧水、

吉井勇はどんな酒歌を詠んでいるのか、藤村や白秋は何か酒詩を作っていないか、川柳や狂歌も面白そうだし、

そういえば演歌に酒は付きものだ、と次々本を買い求めたり、図書館で閲覧したりして酒の詩歌句を探索して

ゆくなかで、酒を詠んだ詩歌句のホームページを本格的に編纂しようと思い立ったのが5年前です。


 世界に目を向ければ、酒仙の李白や白楽天、陶淵明の漢詩もあり、ギリシャ詩人にはじまりゲーテやボード

レール、シェクスピアなどの欧州の酒讃歌もあり、さらに「ルバイヤート」などアラブにも酒詩があることが分かり、

それらを掲載した詩歌集の古本を買い求めるとともにホームページも古今東西に及ぶ「酒の詩歌句集」としての

体裁が整ってまいりました。

 
 また、もっぱら酒の詩歌句を編纂した書も次々と見当たりました。『酒の詩歌十二ヶ月』(大木惇夫編)、

『酒の詩集』(富士正晴)、『美酒佳肴の歳時記』(森下賢一)、『酒のみのうた』(長沼弘毅)、『中華飲酒詩選』

(青木正児)、『讃酒詩話』(沓掛良彦)、『ワイン頌詩集』(村上文昭)、『牧水酒のうた』(沼津牧水会)、

『アラブ飲酒詩選』、『日本の酒造り歌』(宮内仁)、『飲んべえの品格』(いとうやまね編)などの傑作です。

 
 これらを古書店や古本市で発見したときの歓びはひとしお大きかったですが、そのうち酒の詩歌本に

限定せず、大好きな日本酒を中心とする本や酒の特集を掲載した雑誌に興味が湧き、収集がさらに

進展した結果、現在、蔵書は500冊を越えるに至っています。
 
 うち、酒の詩歌句が一部掲載されている詩集、歌集、句集の類が100冊ほどで、他の420冊ほどが

酒をテーマとした書で、これらの90%以上が古本で占められています。

 
 これらの書を、以下のような19のジャンルに分類して「淀風庵・酒本蔵書一覧」と称するリストを作成しています。

1.酒と文化・歴史 2.酒論 3.酒造り 4.蔵元紀行 5.杜氏・蔵元物語 6.銘酒ガイド 7.酒場・

酒宴文化 8.居酒屋探訪 9.酒の愉しみ方 10.利き酒 11.酒肴 12.酒器 13.酒と健康 14.酒の雑学 

15.酒の事典 16.酒徒伝 17.酒の詩歌句 18.酒エッセイ・対談 19.酒・酒場小説&コミック

 
 このうち、「酒エッセイ・対談」の書が80冊といちばん多く、『酔っぱらい読本』(吉行淳之介編全7巻)や

『酒のかたみに』(たる出版全3巻)、『日本の名随筆シリーズの『酒』『酔』『酒場』、そして佐々木久子さんの

著書などにみる数々のエッセイは、作家などの飲酒ぶりや酒への想いが綴られていて読みあきません。


  「酒・酒場小説」では『酒道楽』(村井弦斎)、『禁酒宣言』(上林暁)、『居酒屋兆治』(山口瞳)、『酒仙』

(南條竹則)、『蔵』(宮尾登美子)、『牡丹』(山本一力)、『センセイの鞄』(川上弘美)、『今夜、すべてのバーで』

(中島らも)、『酒場のショートショート』(眉村卓ほか)、『酒の夜語り』(23作家)など愛酒家にとっては、

わくわく、どきどき愉しいものばかりです。

 
 本の紹介はキリがなくこの辺で収めますが、寝室と書斎と応接室を兼ねた私の狭い部屋では、書棚だけでは

足らず畳の上や押入れにも酒本が積んであり、臭いも漂うので、家人からもう古本を買わないでくれとたびたび

文句を言われています。

なのに、秋になってまた収集癖の虫が騒ぎ、大阪の天満宮や四天王寺の古本祭りへ、そして京都の八万遍古本

まつりへと酒本行脚をしています。

秋深き百万遍の古書と酒(拙句)

 
 古本市では「酒」とか「酔」という文字を追っかけて、2時間ほどスイスイと見て回りますが、慣れたもので、酒本が

あればサッと目に飛び込んでくるものです。ただ、幸いなことに?古本屋や古本市を漁っても、もうあまり収穫はあ

りません。

ネットでも20数冊買っていますが、掘り出し物を目で確かめて買うのが一番の歓びです。

 
 資金も無く、この歳で夢といってはなんですが、こじんまりした「酒本酒肆」「酒本カフェ」をいつか開店して、

酒本を見たり、考えたりしながら美味い日本酒やドリンクを愉しんでもらえ、また酒本の内容を話題に語り合

えるような場を提供することができれば、まさに酒仙境に通じますね。

 
 これが実現できれば、家の本も片付いて家人もリビングとしてゆったり寛げることになりますが、今の借家の


一室を国会図書館淀川分室?「酒本ライブラリー」としてオープンしてしまうことも考えられます。

私個人の蔵書として留めず、日本酒フアンの方々から酒関係の研究者や執筆者まで広く活用いただいた

ほうが有意義かと思うのです。そのときにはまた家人とひと騒動になることは間違いありませんが。




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NO.18お酒は人の心を開く妙薬                
レオ

30代の姪夫婦は、二人揃って大の日本酒好き、気がついたら、

かなりの量をぺろりと、二人で飲み明かしてしまうことも過去にあったそうで、

その酒豪夫婦を、ある日、行きつけの店に招待することにした。

この店の料理の美味しさは何回も通って、分かってはいたが、

お酒のほうはいつも生ビールを注文していたので、日本酒を味わう

機会を逸していた。

日本酒のメニューを見せてもらって、日本各地の色々な地酒の銘柄がある中で、

その店の名前を冠したものがあったので、尋ねてみると創業1886年の

さる地酒のメーカーに頼んで、特別に造ってもらっているお酒であるとかで、

まずは小手調べに、そのお酒を注文することにした。

最初、自分でもちょっと味わってみたところ、清涼感あり、口に馴染みやすい

味であったので、姪夫婦にも尋ねてみると、美味しいとの答えが返ってきたので、

思わず一安心。


次から次へと出てくる料理と、合間に味わう日本酒がぴったり合っていて、

我々の席には、実に楽しいひと時が経過している。

饒舌な姪に比べて、その連れ合いのほうは、至って無口なほうで、

自分のほうから積極的に話題を提供して、その場を盛り上げるようなタイプでは

ないが、かと言ってその場の雰囲気を壊すようなこともなく、もの静かではあるが、

時には微笑みながら、話題の中に溶け込んでいるようなので、こちらも

助かっている。

その彼に、本人が興味をもっている歴史の話題をぶつけてみたところ、

美味しいお酒の力で、脳にも心地よく効いたのか、それまで寡黙で沈黙していた

口から、日頃本人が思っていた事柄がいろいろ飛び出してきたので、

思わず周囲が彼のご高説を拝聴する形になった。

適度で程のよいお酒の酔いが、彼に心を開かせ、その口を滑らかにしているようで、

改めて、お酒が妙薬の役割を果たしているように思えた。

杜氏が精魂込めて造った、珠玉のようなお酒だからこそ成せる技だと思う。

今後とも、人を愉しませ、和やかな気分を作り出してくれる美味しい日本酒を、

もっともっと世に送り出して欲しいと願う次第です。

その為には、我々自身も、事あるごとに、日本酒を嗜む機会を持つようにしないと

いけないのかも知れない。


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NO.17 だだみの思い出                              こやなぎ名人

仕事で全国各地を訪問していますが、最近はどこに行っても乾杯はビールで、その後は焼酎の水割りか

お湯割り、という光景ばかり。日本酒文化が消えていくのをさびしく思っていました。

 そこで、旅先で、一人で夜の時間を過ごせるときは、地酒がありそうな居酒屋ののれんをくぐることに

しています。地方のお酒は、その土地でとれた野菜や魚とともに味わうのが、一番おいしいと思えるからです。

 秋田県に行ったときのことです。

路地裏の居酒屋に、『だだみ』という品書きがありました。

「え、だだみ?何だろう?」 と思い、店主に聞いてみると、たらの白子とのことです。

冬場でしたので、秋田の地酒とともに味わいました。

 ふわふわ、ぷりぷりの白子を口に入れて、それを地酒とともに胃の中に流してあげると、思わず「く〜〜っ!」

という声が出ます。まさにベストマッチ。

いい酒と食べ物は、相乗効果でおいしさがアップするのでしょう。

しかも体はぽかぽかと芯から温かくなってきました。

 不思議だったのは、おいしくて、少々普段より余計に飲んだはずなのに、翌朝は、すっきりと目覚めたことです。

「日本酒は翌日に残るから」と言って焼酎にする人がいますが、本当にいい日本酒を、その土地の食べ物と

一緒に楽しめば、悪酔いすることはなさそうだと、そこで感じたものです。

 さらに不思議なのは、他の県で、秋田県の日本酒を飲みながら、たらの白子を食べても、秋田の小さな

居酒屋で食べた「だだみ」ほどは、おいしいと思えないことです。やはり、いい日本酒と食べ物は、ご当地まで

行って味わうのが、一番おいしいのだろう、としみじみ感じております。



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NO.16 地酒を求めてぶらり旅                                風車

のんびりぶらり旅で、よくあっちこっち出かけますが、落ち着いた町中やのどかな田園風景の中で、

不思議と眼に入ってくるのが、立派な店構えの地酒のお店や酒蔵です。

 
 いつもながら、どのような名称のお酒が並んでいるのかを見るのを楽しみでお店に入るのですが、

何故かお店の方から、余程お酒好きに見えるのか『よろしかったら、お酒造りの現場をご覧になられ

ますか!』と声を掛けられ、こちらも別段急ぎ旅でもない時は、『えっ、宜しいですか?』と興味津々で

応じてしまいます。

 
 お店の方が、割と薄暗い広くて天井の高い作りの空間へ私を導いてくれ、お酒造りに用いる施設、

各種道具、用具類が並んでいる所で、原料となるお米、麹、水、麹室、仕込み樽、搾り、壜詰め、出荷に

至る一連の工程を慣れた口調で、手際よく、簡潔に、淡々と説明されるのが小気味良く耳に入ってきます。

 
 お酒造りもいろいろと大変なんだぁと、ほとほと感心していると、タイミング良く、『こちらで造ったお酒です。

是非試しに飲んでみてください』と、いつのまに入れたのか小カップに入ったお酒をすっと目の前に出されると、

これもついつい『あっ、すいません、それでは遠慮なく』と言って手を出してしまいます。

 
 まずは通のような格好付けして、小カップを鼻先に持ってきて香りを嗅いでから、最初ほんの一口そっと飲み、

一旦口中で転がしながら、味、香りを楽しんでから喉に通します。お店の人の痛いような視線を感じながら、

残りの一口をぐいっと飲み干し、『あぁ、さっぱりして口当たりが良くて、なかなか飲み易いお酒ですね!!』

と評価を申し上げると、お店の方の顔が一瞬ゆるみ、眼も柔らかくなり、そうでしょうと言いたげに賛同を求める

ような表情になっています。

 
 この表情を見せてもらった上では、何も買わずにお店を出る勇気は残念ながらありませんので、試飲の

印象さえ良ければ、そこのお酒をついつい買い求めることになります。と言うことで、まだ封も切らずに家の

中で熟成させているお酒が何本かあります。



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NO.15 我がGINJOとの出会い                            松木津々二

生まれつきアルコールがダメなわけじゃない。
ただ、あまり飲まないタチでした。
宴会や外で飲む機会はあっても、家で飲むコトはほとんどなかった。
そんな自分は、若いころから日本酒をまったく口にすることがなかった。
学生のころ、先輩から無理やり飲まされた日本酒に、体質なのか翌日から
全身の関節に痛みが走り、微熱に悩まされ、就職後は二度と口にすることの
ない酒の一つになった。それが元で、私にとって縁遠い酒でもあった。

 四十歳を過ぎ、東京で働いていたころに、女子社員たちに連れて行かされた
日本酒専門の居酒屋。
「騙されたと思って飲んでみて!」と、半強制的に飲まされたのが純米吟醸。
あのイヤだった臭みも無い。
ほのかな香りとまろやかな味、そしてスッキリとした後味。
「これは本当に日本酒なのか?」と疑った。
これが私の最初のGINJOとの出会いだった。
少々飲みすぎたようだった。
翌日が心配だったが、不思議と関節の傷みも出ない。
それ以来、純米吟醸を自ら飲むようになった。
誰から聞いたか、「吟醸酒って秋田で生まれた酒なんだよ」って、長い間そう思い込んでいた。
この広島の地に住むようになっても・・・・・。

 ある本に出会った。「吟醸酒を創った男」池田明子:著
ここから私の「吟醸酒のふる里」探しが始まった。
篠田次郎:著「吟醸酒誕生」「吟醸酒の来た道」も読んだ。
でも疑問だけが残った。
どれにも決定的に、どこがその誕生の地だと書いてはいない。
「吟醸仕込み」と呼ばれる軟水醸造法のことは解かった。
広島は安芸津の酒造家「三浦仙三郎」が、明治31年に発表した「改醸法実践録」がその始まりで
あることも・・・。
だが、高白精米技術のことが書かれたものがない。
この二つの繋がりが解明されないと、吟醸酒の誕生は語れない。
誰もこの疑問に触れていないのだ。
酒造りのことなどまったく素人の私が、ただ「焼きもの町」のように赤煉瓦の煙突が立ち並ぶ珍しい
「酒の町」に住むことになったことで、その謎を解き明かすことになろうとは・・・・・。

なぜか戦後の日本酒業界は、近代の日本酒に関する技術発展の歴史を語りたがらない。
「伝統的手造り」のイメージを前面に押し出して、「のれん」の古さだけを誇りにする。
世界に誇るニッポンの醸造技術の高さによって生まれた、「世界のGINJO」にもなれるポテンシャル
を秘めた「新しい醸造酒」であるのに・・・・・。
「吟醸酒のふる里」・・・・・
今そこには、吟醸酒造りの技術を磨く舞台になった、元「大蔵省醸造試験所」であった独立行政法人
「酒類総合研究所」が建っています。


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NO.14 主食と味覚と遺伝子の結果論                         池田芳輝

我々日本人のほぼ九割方主食は「米」だと思われる。

その米を炊き上げ、その季節に応じた副菜で食する。

米が副菜の味で飾られて更なる味覚を醸し出す。

日本人であれば誰もがその幸福感に包まれていることであろう。


 話は変わるが、私は酒と称されるもの全般が好きだが、特に日本酒の完成度と品質の高さには

日々教えられるものがある。

正直な話、まだ酒のいろはも理解出来ていない若い輩の飲み方(かつては自分もそうだったのだが

反省を繰り返し現在の境地に至る。)や知ったかぶりの薀蓄を語られるのが非常に不愉快である。

 
 その当人も酒を愛している故の行動だと思うが、まだまだ甘い。

ただ銘柄を理解し、その味の傾向を語っている次元が甘い。

 強いては大地を食らい、海を食らい自己を育んでいることを理解していない。

感謝の意識なくして本当の味など理解できないと私は判断する。

 まずは米を美味しいと思い食する遺伝子を与えられたことに感謝。

酒の材料になる「米」を作ってくれた方に感謝。

その酒米を芸術レベルまで引き上げ醸し出して下さる杜氏の方々に感謝。

更にその酒の奥行きを無限に広げてくれる副菜たちを生んでくれる自然に感謝・・・。 と、

感謝したら切が無い。

そして感謝の数が増えるほど味わいは想像をはるかに超える彼方まで広がっていく。

 私の場合良い酒を買ったり、頂いたりした場合にまず何点か考えることがある。

1)どういうタイミングでその酒を飲むか?

2)どういった副菜を用意するか?

3)どういうシチュエーションでその酒を飲むか?(1人、気に入った仲間などなど)

 
 そんな情景を思い浮かべるだけでも既にその酒の奥行きは一つ二つと広がっていると考える。

イメージがどんどん先行してしまうが、そんなことはかまわない。

どんどん先行させてあげれば良い。 イメージを膨らませながら副菜の準備をしていく。

旬の素材たちに心から感謝。 美味しい料理に仕上げることを素材に約束する。

 
 酒にも衣装を着せなければならない。

器は非常に大事なものだと思う。

何故なら酒は心で飲むものだと思っているから。

副菜も然り。

きちんと表舞台に立たせてあげたい気持ちでいっぱいである。

「物を大事にしろ!」と昔から耳が痛いほど聞いてきたが、物とは用具や道具だけではなく、

食物も物であると考えれば物に対するイメージ全般が理解できる。

物に対する愛情を深めた時、その物に通じる道の扉は全て開かれるに違いないと信じてやまない。

そしてそんな事を一人考えながら酒の席を創作することに心から喜びを感じる。

 
 そうこうしてお膳の方の準備も一通り終わり、 主役の酒を飲む段階に入る。

ご先祖様→米を育む大地→米作りに携わる人→杜氏の方々・・・と順番に感謝する。

 膳も作り、感謝の儀式も終えて さあ、とうとう一口目を流し込む時が来た。

器に注ぎ込んだ風情がまた良いものだ。

杯を傾け一気に喉に流し込んでみる。

期待している分だけ何と言うか体に染み込んで行くのが良くわかる。

何故なら口先だけでなく体全体がその酒を欲しているからだ。

 
 戻り香が鼻先から抜けていく。

何で穀物がこのような芳香になれるのかと驚きながら 芳香の余韻に導かれ副菜たちに箸をつけていく。

一口食べては一口飲み・・・

 
 つまみの旨みが酒の味わいを更に立体的に作り上げる。

一人酒ならば黙々とただ頷きながら飲み続けているだろう。

複数であればこの幸せに共感しながら会話も膨らんで行くであろう。

 
 ここ数年世界的に日本の食文化の素晴らしさが理解され始めて来ていると思う。

ただ私からすればちょっとばかりひねくれた感情で

「ああ、君達だけには知られたくなかった・・・。」

と、意地の悪いことを言ってしまいそうだ。



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NO.13 再会・未来へ                                   酒仙婆   
 

神奈川に住む私と埼玉に住む友人Hさん、二人はお互い地元の酒蔵を応援しております。
神奈川も埼玉もお酒造りにはあまり縁のないような地域と思われてますが、 意外と良い
お酒を醸しているのです。

 衰退産業という人もいる酒造業界ですが、後を継ぐ若い力もしっかり育っているわけで、
友人Hさんが応援しているお蔵の28歳の杜氏さん、彼は蔵の後継者ではなく アルバイトで
酒蔵で働き、そのまま勉強し杜氏になって2年目の若者。

 20BYの造りで彼は悩み、迷走したそうな、「勉強のためにも他のお蔵を訪問したい!」と。
友人は私が応援するあるお蔵を見学させてやって欲しいと依頼してきました。

 私が応援するお蔵も31歳の杜氏と29歳の麹屋の兄弟を中心に造る小さなお蔵。
彼らは跡継ぎですが、アルバイトで家業を手伝ううちに来られなくなった杜氏さんに代わり、
二人で周りに助けられながら酒造りを始めて3年目の若者達。

 一昨年酒販店さんのご縁でお蔵を訪ねるようになり、兄弟の人柄、素晴らしいお酒に、
すっかりファンになり応援しており、Hさんも去年お蔵を訪ねてファンになってます。

 さっそく話を伝えたらなんと杜氏のA君と埼玉の杜氏Y君は滝野川の同期とか・・・、
その時は特に親しくはならなかったらしいですが、見学は快く承諾してくれました。

 当日、埼玉から友人Hさん引率で、杜氏のY君若い蔵人S君と、3人が神奈川にやって
来ました。最寄駅より30分バスにゆられ、山懐の小さなお蔵へ、Y君S君思いの他
山の中なので驚いてました。

 門の前で出迎えてくれたA君、いわば数年の時を経た再会!!
すぐに打ち解け、話に花が咲きます・・・
お互いの蔵のことを伝え合えば共通する事も多く、話は弾みます。
それぞれ200〜250石くらいの規模、蔵人の数も同じくらい。
麹屋の弟T君も加わり、それぞれの造りの仕方を披露し合いお互い情報交換。
時には本音もポロリ?(笑)私ら大人は聞かぬふりで(笑)。

 造りも終わり片付けられた蔵内ですが、アレコレと引っ張り出してきては説明するA君、
いつになく熱心で楽しそうです・・・
4人の若者達の様子、まだまだ日本酒の未来は明るいぞ!!と心弾む思いで眺めてました。
そして試飲タイム、此処のお酒と埼玉より持参のお酒を味見しつつまた酒談義です。
次は神奈川組が埼玉を訪問する事に・・・

 懇親会にとお店を予約してあったので移動して、お互いのお酒を飲みつつ美味しいお料理も頂き、
次回の再会を約束して埼玉組は帰路につきました。

 10分後には杜氏Y君よりお礼のメールが!!、嬉しさいっぱいが伝わる文面、たいそう有意義であったようです。
全国のお蔵にも若い力が育っていると聞きます。
ご指導くださる先輩杜氏さん方のお酒に惹かれ蔵人に、あるいは後継者ゆえにというのもあるでしょう。
家業を継ぐ気はなかったが、世間でいろいろ見聞きして蔵に戻り 経験を生かして、あるいは一から出直して、
人様々でしょうが 、お酒造りを希望する若者は増えているとおっしゃる蔵元様も多いです。

 先達の皆様が造って守ってきた伝統は今も受け継がれているのです。
無論、科学的に解明され、開発された新技術や原料もありましょうが、お酒造りにかける【こころ】はいつの時代も
変わらぬように思います。

 若者達は手を取り合ってお互い切磋琢磨し高めあい、協力し合い、 守っていってくれることでしょう。
明るい未来がここにある!!と確信した一日でありました。

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NO.12 薔薇色の酒                       井上休甫

 

心ときめく薔薇色の酒ー、この酒は弊店のお客様と造り手である私のコラボレーションで生まれました。

二千年のはるか昔に、吉野ヶ里で米が作られていたころ、『人性酒ヲ嗜ム』と魏志倭人伝に記された酒の

味や香りを思い浮かべながら醸すこと四年ー、毎年、微妙に変化する味や香りですが、今年の酒は

ナチュラルなカラー、そのクリアーなパープルには、時空・遙か二千年を彷彿とさせるものを感じます。

 古代米や紅こうじの健康効果をコンセプトに、商品開発をいたしましたが、この酒に関心を抱かれた方が

オリジナルラベルの原稿原画を書いてくださいました。

私は送られてきた原画を見るや否や、その方の美的感覚や表現力に非凡なものを感じました。

 今までは、オリジナルラベルの依頼には私が原稿を書いて、製版、印刷をして参りました。

ところが、私の稚拙な技術では原画の良さを充分に表現することは出来ないと考え、専門の美術印刷会社に

依頼しました。

 こうして、薔薇色の酒は出来上がり、特別企画セールを致しましたところ、多くの方からご注文をいただきました。

先にお届けした人から感想なども寄せられ、その中にとても心にのこるコメントがありました。

 美味しい酒を楽しく飲んで、健康に暮らす幸せを『酒仙境』に例えて酒を造り、そして、販売を致しておりますが、

酒業界にとって今日ほど厳しい環境はありません。そうした折にいただいた次のコメントは、杜氏冥利に尽きる

ものとして文章にして残さずにはおれません。


 『本日受け取りました。ありがとうございました。

早速いただきました。バラ色が本当に綺麗で、おいしくいただきました。義理の兄が今月定年退職を迎えるので、

この時代、定年というのはなかなか厳しいですが、第二の人生がばら色になりますようにと願ってこのお酒を贈り

たいと思っています。きっと喜んでくれると思います。素敵なお酒をありがとうございました。』

『一生を洗い流してくれるのはただ酒だけだ…』(唐・韓愈)

『得意の時には高らかに歌い、失意の時にはそれを止めよう』(唐・羅陰)

と謳った先人たちの酒仙境!。

単純で明快な人生に華やかな色彩を放つ薔薇色の酒をこれからも一生懸命造ります。

 そして、このたび何よりも嬉しかったのは、義兄様の退職後の人生がばら色になりますようにと願う、

あなたの心遣いです。


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NO.11
呉市・千福/蒲刈島・西條鶴/岡山・酒一筋                  向川 敏 
 

<まず、千福に出会う>
(1)千福

 呉の誇る大手日本酒メーカー、会社名-三宅本店、社長-三宅清嗣さん、3名の広島杜氏、3蔵(吾妻庫・昭和庫・

呉宝庫)、灰ヶ峰の伏流水使用、創業1856年、出荷量5万石(9百万リットル、一升瓶にして5百万本)、兵庫県よ

り西ではNo.1、全国でもTop10に入っています。

(2)「千福、一杯いかがです」という名コマーシャルソングで全国銘柄に、サトーハチロー作詞・いずみたく作曲・ダーク

ダックス歌というゴールデントリオでした。

(3)飲み口は広島酒の中にあって相対的にサッパリとしてやや辛口、いち早く大正末期の全国新酒鑑評会で第一

位を獲得。H4〜H14の10年間も延べ10回金賞を獲得。

最近もモンドセレクション金賞に選ばれていますから決して品質を怠っていませんが、ここ20年間はTV宣伝不足の

ため灘・西宮・伏見に比すると全国知名度がまだまだ。

「千福」は1916年に発売開始、名前は創業者・初代・三宅清兵衛がnamingしました。

千は妻の「千登」から福は母の「福」から。呉駅・広島駅・広島球場に看板が出ていますが、どちらかと云うと毎日

庭で晩酌に飲む普通酒に販売の力点があり、大吟醸・純米醸造は殆どPRしませんし、市場範囲も広島県・山口県・

九州が中心です。関西や関東では見ないのが残念です、まだ食い込めないんですね。

都内では西条(現在の東広島市)の「賀茂鶴」が広島酒としての地歩を固めています。

(4)本社も工場もわが母校・吾妻小学校のごく近所、先代社長・三宅清兵衛さんの邸宅は吾妻小・東畑中・宮原高

の学区にあり、娘さんは12年間ずっとワシの同級生でしたしお父さんはずっとPAT会長なので、自然な形で千福に

親しんで来ました。

小学校では社会見学は勿論千福工場、お土産は酒粕。

<西條鶴>
学生時代に田舎の蒲刈島に帰ると、年寄りがてぐすねひいてまっちょるんです、飲み相手がきた〜ちゅう感じ。

皆、「西條鶴」の普通酒を飲む、千福と違うんよ

安い・美味いんですよ。飽きのこん酒じゃね、これは。

<岡山>

わしがほんまの日本酒に出逢うたんは1986年岡山じゃった。

1986年夏〜1987年末にかけて岡山支店勤務になりました。

未知の街、桃太郎に吉備団子、のイメージしか持ち合わせなく、辛うじて中国銀行と天満屋の本店が岡山だとしか

知りませんでした。

顧客である岡山県信連で昼食を頂きました。皆がヤカンから水を湯飲みに汲んで飲んでいます。

何回も何回もお代わりを飲んでいるんです。

不思議に感じて、わしも湯飲みに注いで飲んで見たんです。

あれ、これ酒やな?、しかし水っぽいなあ、スイスイ入る。

県信連のえらいさんに、「水っぽい酒ですねぇ」と言うたら、ニコニコして「水みたいな酒をようけ飲みんさいや」

それが「純米大吟醸」だったんですね・・・

赤磐雄町使用・「酒一筋」・純米大吟醸


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 NO.10 とっておきの場所                                 松尾守蔵
 

季節ごとに酒を楽しめるとっておきの場所がある。

竜門ダムの堰の下、浄水場のそば、ダムからの流れが小川になっているところだ。

小さく蛇行する流れには、樹木が覆いかぶさるように繁っていて、静かに飲みたいときには

格好の場所なのだ。飲むのはもちろんのこと、井上杜氏が我が蔵で丹精込めて醸した酒である。

 春、3月下旬、桜をめでる。桜の木を見上げながら飲む新酒は、生命の息吹を感じさせる。

ときどき花びらが舞って、有田焼の器の中にも花が咲く。

秋、紅葉の季節には鮮やかな色彩と春に搾って円熟のときを迎えた酒をじっくりと楽しむ。

赤く染まった頬に吹く風も心地良い。

しかし、私自身最も好きなのは、夏の初めだ。

五月下旬から六月上旬の限られた二週間ほど。

蛍の季節である。

 少し蒸し暑く、くもりの日が良い。

川に覆いかぶさった木の下、流れの中途のちいさな堰に腰をおろす。

見上げると木全体に蛍が群がり、クリスマスツリーもかくやといった様子である。

川面にはそれがそのまま映っていて、一斉に点滅するさまは息を呑むほどに美しい。

ときどき手に持った器に蛍がやってくる。

 蛍の明滅の中、酒を少しだけ口に含む。いきなり飲み込んだりはしない。

口中に広がる香り、上品な甘さ、やわらかな酸味、気品のある旨みをゆっくりと感じる。

のどを通すと、心地よい刺激がすうっと通り抜ける。

友と語らいながら、時には一人で静かに、杯を重ねる。至福、まさに至福の一時である。

 ここ数年、忙しさのあまり行きそびれた。

きっと来年はと、もう今から誓っている。




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NO.9 私の好きな酒                            大嶋仁(比較文学者) 
 

私は酒に弱く、すこし口にするだけで顔中が真っ赤になり、心臓がどきどきする。

学生の頃、飲み会で無理にも呑まされたビールなどは嫌いと言ってよく、夏になって

みなが嬉しそうに生ビールを呑んでいるのを見ると、楽しさをまったく共有できない

つまらなさしか感じない。

ヨーロッパに長く住み、南米にも居住したことがあるのだから、きっとワインなら好きだろう

などと言われても、世界中どこへ行っても呑めない人間は呑めないのだとしか言いようがない。

もっとも、ワインは香をかぐのは好きになったし、緑がかったグラスにいい音をたてて注ぎ込ま

れるのを見るのも好きである。

しかし、店頭に赤黒い瓶が並ぶのを見てきれいだなと思うだけで終わるのだから、話にもならない。

 
 そういう私でも、呑めるというか呑んで心地よくなるものがないわけではない。

たとえば上質のボルドーがそうで、上質の日本酒もまたそうである。

「上質」でないと駄目というのは生意気かも知れないが、上質だと酔いで気持悪くなることがなく、

呑めない人間でさえ呑む喜びをかろうじて味わえるのだ。

とはいえ、自分の口に合うそんな「上等」な酒が簡単に手に入るわけもなく、

ほとんど酒は口にしないのが日常だ。

その点では、数年前、唐津くんちの時に知り合いの陶器屋さんでたまたま御馳走になった日本酒と

巡りあえたのはもっけの幸いであった。

酒の呑めない私が、こんなにも味わえたのは、本当に例外なのである。

その酒は名前もよかった。「雨後の青山」という。

名にぴったりのすがすがしい香があった。

日本酒といえばいやらしさみたいなものしか感じないできた私なのである。

何と言うか、人間を下品にする味だと思ってきたのだ。

ところが、そういう偏見を「青山」はすっぱりとやっつけた。

日本酒であろうとなかろうと、そんなことはどうでもよいと思える味であった。

 果実酒のような芳香、一瞬甘く感じられてさらりと消える。

そのあっさりしたところがまさに「雨後の青山」なのだ。

漢詩文の世界が彷彿とし、李白を思い起こさせるかと思えば、西域の「葡萄の美酒」も連想される。

あか抜けたこんな酒が有田で出来るとは、やはり有田は古くから大陸とつながっていたのだなと思ってしまう。

 「雨後の青山」といえば、私が大好きな中国映画「山の郵便配達」が思い出される。

湖南省の山岳地帯が雨に濡れていっそう美しいあの映画の画面はいつまでも目に焼き付いている。

そのような風景にぴったりの酒、それが酒を飲めない私の貴重な好物である。

たくさん呑めないからこそ、じっくり味わうことが出来るのだ。




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NO.8 平成吟醸会の思い出                     淀風庵

 平成元年から六年の間にわたり、当時、東京の赤坂にあった国際広告会社において、酒を愛好する

企画部員で吟醸会を催していました。いま考えますと、社内でよくやれたものですが、一仕事終わったあと、

社内の小会議室で開く吟醸会は和やかなもので、固い仕事の話や肩書きは抜きで、人と人がほどよく

触れ合える「ほっとタイム」でした。

お酒は日本酒がメインで、それも参加者が出張先で買い求めた地酒が中心ですが、業者からの貰い物や

有志からの差入れのお酒や肴もありました。

ある程度本数が確保できたタイミングを見計らって、世話役である私どもが会の参集を呼びかけて催しました。

その結果、6年間で20数回と頻度はさほど多くはないのですが、この吟醸会が長く続いたのも、随時的で、

随意な参加性からくる気安さがあったためであろうと思います。

参加人数は少ないときで数名、多いときで20数名でしたが、会の存在を聞きつけて営業や管理部門の

酒好きの社員が飛び込み参加することも多く、女子社員の参加者も回を追って増えたのです。

この間、冷酒や常温で味わった酒は全国各地の80銘柄に及び、カルフォルニア産の日本酒も含まれて

います。

残念ながら、時あたかもバブルの崩壊の影響を受けて資本の構成が変わり、事務所は住み慣れた赤坂から

渋谷に移ることが決まり、平成六年九月二十九日の「赤坂別れの一献」をもって当会も終焉するに至りました。

「歳歳年年人同じからず」で、春には花を愛でながら酌み交わし、皇太子御成婚を慶しては飲み、また即興に

俳句を吟じてくれた仲間達も今は離れ離れで、私も古希に近くなりましたが、あの頃の酒興や息吹を思い出す

と懐かしくなります。


現在は、古今東西の「酒の詩歌句集」をホームページで掲載したり、大阪近辺の地酒の居酒屋を巡ったり、

お酒の古本を集めるのを楽しみにしています。

地酒居酒屋は88ヵ所巡りが目標で、まだ半分にも達していませんが、美味しい、また個性のある地酒が酒友

と飲めるのは本当に冥利です。




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NO.7 山の貧乏仙人の手紙                                草舎人 
 

秋深し、渓流を覆うブナ、コナラの樹の黄葉が風に舞い、流れの上に降り落ちます。私の一番好きなシーズン

です。

漢詩に「紅葉を炊いて酒を温たむ」というのがあったと記憶しますが、山登りが好きだった私は単独行の山登り

の途中、こうした景色の中で一人、酒を暖めて飲んだ思い出があります。大学の頃から結構風流人でした。

今、私は山に篭って仙人生活をしながら原始仏教の本ばかり読んでいます。

仙人というと天狗のような超能力者と思われがちですが、なに「仙」の字は人偏に山と書くように、

山暮らしをしている凡人と理解ください。特に酒好きな凡人です。

原始仏教というのは、釈迦が生前に弟子、信者たちに語った本物の説法をいうもので、現在中国、日本などに

伝わる仏教とは大きく異なるものです。

私が原始仏教に興味を持ったのは、生涯の研究テーマと決めた「老子」を勉強するうちに、同じ時代のインドの

「釈迦」の仏教と非常に共通するものを感じ、それを調べ始めたからです。

そこで知ったのが、今の私たちが仏教の経典と呼んでいるものは、釈迦の死後六百年ほどあとの紀元二世紀

から三世紀にかけて起きた大乗仏教運動により、新しく創作的にかかれたもので、多くのものが釈迦の意思を

反映しない、あるいは反する「経」であることです。

しかし大乗仏教とて本旨は釈迦の思想を汲む仏教には違いありません。

ただ自力本願主義で他力本願を認めない釈迦にたいし、大乗仏教では祈れば全ての願いがかなうという現世ご利益主義を

うたい、また釈迦は彼岸、涅槃の地に行くのに信者に厳しい修行を課すのに対し、大乗仏教では修行不要で念

仏を唱えさえすれば誰でも極楽に行けると約束します。

つまり大乗仏教は信者を増やすためになりふり構わず、商業的宣伝を盛り込んだのです。

これは当時、新しく勃興してきたヒンズー教、イスラム教に対抗するため、やむをえないことでした。

なんだか宗教も世知辛い話になってしまいましたが、こうした哲学の憂さを晴らすのは酒が一番です。

釈迦は五戒に飲酒を入れましたが、同じ頃起きた仏教に良く似たジャイナ教は飲酒を禁じていません。

酒を飲むときはジャイナ教に改宗です。


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NO.6 酒とうつわ                               からつ焼 炎群・碇 宏八郎 
 
以前、酒は名脇役ということを書いたので、今回は酒が主役の話。

この場合脇役はうつわである。まあそれは焼きものということになろう。焼きものを大別するといわゆる磁器と

陶器となる。前者の代表的なものは有田焼、後者では唐津焼があげられよう。ここでは唐津焼を取り上げる。

ひと口に唐津焼といっても、素地の土、釉薬、 焼成法などの組み合わせで、いろんな種類のものがある。

あえてそれらに共通点を上げれば土もの特有の素朴さであろう。それはどちらかというと武骨で、磁器の持つ

洗練された美しさとは対極にある。

ここでそれぞれの花器に花を活けてみよう。たとえば磁器の代表・柿右衛門に牡丹を生ければ、これ以上豪華

な取り合わせはなかろう。

しかし唐津焼には路傍に咲く名も知らぬ花こそふさわしいのだ。

なぜか? 素朴な唐津焼のうつわは、一輪の雑草の花もよく見るとこんなにも美しかったのか、ということを教え

てくれるのだ。

つまり自分は脇役に徹して、生けられた花を思いもよらないほど引き立ててくれるのである。


唐津焼のような土ものには、釉薬をかけないで焼く焼締めという技法がある。

この焼締めのジョッキでビールを飲む。実をいうと私はビールはなんの変哲もないガラスのコップで飲むのが

好きだ。

しかし周りがうるさくいうので、焼締めの唐津とガラスのコップを並べて比べてみた。

ビールを注いでまずよく見ると、ガラスに比べて唐津は泡がはるかに小さいのである。

それはいかにもおとなしく、泡立つビールの迫力に欠けるといえなくもない。

しかしそれぞれを口にすると、違いは歴然としている。

泡が小さく揃っているせいか、のどを通るときの感触がなんともまろやかなのである。

百聞は一見(一飲)に如かず。読者諸兄いちどぜひお試しあれ。

さて日本酒の出番だ。

唐津焼の店に入り、棚に並んだぐい飲みを眺めていると、そばで店員さんが「これでお酒を召し上がると本当に

おいしいんですよ」という。

しかしそうだろうなあと想像はするが、やはり実際に酒をついで呑んでみないことにはわからないではないか。

そんな不満を感じていたところ、このホームページの主、井上満さんと「唐津の酒器と日本酒を組み合わせた何

かイベントができないだろうか」という話になった。

どうせやるなら桜の咲く頃、唐津焼で新酒を味わおうと、すぐに話はまとまり、一昨年の4月初め『銘酒と酒器展

』を催したところ、大変な好評を得ることができた。

素朴な唐津の酒器で呑む「雨後の青山」はいっそう滋味を加え、酒で濡れたうつわとはまるで相思相愛の仲を

思わせた。

さて、11月2,3,4日、唐津の街は「くんち」一色となる。

このところ店では「雨後の青山」を用意し、近在の人々、遠来のお客にふるまうのが恒例となった。

祭囃子を聞きながら、初めて出会った者同士が盃をかたむけ、心をかよわせ合うのもこの祭りのよさである。

ぜひいちどお越しあれ。





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NO、5:君の瞳に乾杯!                                  碇 宏八郎
 
映画「カサブランカ」は、いつまでも記憶に残るハリウッドの名作である。むろんそれは、往年の名優、

イングリッド・バーグマンとハンフリー・ボガードを抜きにしては語れないが、実はもう一つ忘れてならないのが脇

役の存在だ。とは言ってもそれは俳優ではない。そう、酒である。そもそもボガード演じる主人公は酒場のオーナ

ーだ。

第二次大戦初期、ナチスの手を逃れアメリカを目指すヨーロッパの人びとは、中継地である北アフリカの国際都

市カサブランカで、いつとも知れぬ脱出の機会を待っていた。酒場にはそんな人びとが刹那を求めて集うが、

そこにはナチスの高官たちもやって来てわがもの顔で振る舞う。だから人びとが口にする酒は、けっして人生を

楽しむようなものではなく、その味は明日をも知れぬそれぞれの運命を暗示しているように見える。

さて、そんな酒場で生きるボガードは、「ゆうべ?そんな昔のことは忘れた」「あす?そんな先のことはわから

ない」と

言うようなニヒルな男だ。そんな彼の前に突然、かっての恋人のバーグマンが反ナチス闘士の夫と現れる。

それは運命のいたずらとしか言いようがない。やがて二人は杯をかわすが、そのときの彼のセリフ「君の瞳に

乾杯!」は、さしずめこの映画のキーワードだ。

私も一度でいいから好きな女性に言ってみたいと思うが、しかしこれをボガードが言うからいいのであって、私が

やったらキザなことこの上もないだろう。そう言いつつボガードの真剣な目はバーグマンを深く射るが、返す彼女

の瞳にやどる憂愁の影は、二人の男への思いに揺れる心をかくせない。モノクロームで捉えられたバーグマンの

表情はたとえようもなく美しく、見る者の心に深く刻まれる。

許されぬ恋とは知りながら、しかし二人はたがいの愛を絶ちがたく、やがて夫だけを脱出させる算段が

ととのって・・・。

どの時点からがボガードの策略だったのかわからない。彼はかってバーグマンと束の間過ごしたパリの思い出が

あればいいと言いながら、思いがけない話にとまどう彼女を説得し、夫と一緒に彼女を飛行機に乗せる。もう一度

「君の瞳に乾杯」を永遠の別れの言葉として。むろんそこにはもう杯はない。やがて二人を乗せた飛行機は、カサ

ブランカの空港をあとに夜霧の彼方へと去って行く。

さて、人生というドラマにおいて、しばしば酒は重要な脇役を演じる。言うまでもなく、よき脇役を得てこそ主役は

生きてくる。だから良い酒にめぐり合った者は幸運である、とつくづく思うのである。


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NO.4 米雑感                                          碇 宏八郎 
 
くんちでお酒をご馳走になったお礼にと、知人が手づくりの米を届けてくれた。紙袋には「無農薬、無肥料、架け

干し」と記され、夫妻の名が添えられている。さっそく炊きたてをいただいた。ふくいくとした味は本もので、つくり手

の人柄がしのばれた。酒は、肥前杜氏の友人が、西有田産の山田錦と竜門の清水で醸造したものである。その

たとえようもない芳醇な香りにくらべうる洋酒など、そうざらにはあるまいことは、下戸の私にもよくわかる。


先日、絵を描きに相知町蕨野の棚田をたずね、その壮大さにあらためて目をみはった。千枚にもおよぶ田んぼ

が、標高百五十メートルから四百二十メートルにわたって、まるで天をさして登って行くように段を連ねる。石を積

んで擁壁を築き、水を引いて稲を植えた先人の労苦をしのび、その景観を深く心に刻んだ。

機械のなかった時代に、なぜこうまでして米をつくらねばならなかったのか。日本人のいのちを支え、日本の文化

の源となってきた米である。飽食の時代に生きるわれわれは、米のもつ本当の価値を、あらためて考えてみる必

要があろう。

まつら路を行く。裸になった稲田が、来年に備えてエネルギーを蓄えながら、晩秋のやわらかな陽を浴びてひろ

がっている




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NO.3 あぁ愛しき日本酒よ!                               川崎 あつみ
 
それは、いつだったのだろうか。私が初めて日本酒に出会ったのは、確か社会人になって初めて宴会に参加した

時ではなかろうか。以来30年以上、毎日飲んでいます。

私はお酒が大好きと云っても俗にいう飲んべえではなく、食物としてお酒を飲むのです。仕事を終えて飲む日本酒

の何と旨いこと。(おっと、私は女です。)その為に毎日、せっせと酒の良き相棒"つまみ"を作り続けてきた。

これが又楽しい。

下手な料理でも酒相手となると美味しくなるものである。

酒は気持ちを和ませてくれるし、人との会話も弾ませてくれる。それに、少しの酒なら体にも良いということで酒なし

の人生は考えられなかった。

50数年生きているといろんなことがあり、いつもお酒がついてまわった。楽しい、嬉しい、悲しい、悔しい...。前者の

それがよけい美味しかったかな。とここまではよかったが、おっと、飲めない状況におかれた。3年前に"大腸ガン

"に倒れて手術後、あまり飲めなくなったのだ。「あまり」だから「全然」より救われた。(アハハのハ。)幸い今のとこ

ろ転移もなさそうで、少しの

日本酒をチビリチビリとやっている。ああよかった。

若い時から、お酒が一滴も飲めなくなる時は、死ぬ時だと思ってきたので、ガンになっても、少しでも飲める幸せを

感じている。

さて、お酒のことで一言。私の最愛の母が生前言いました。「あなたのお酒の飲み方は最高ね」と。少しの酒を、

さも美味しそうに、幸せそうに飲んでいる私を見て言ったのでしょう。そう言われた時は嬉しかった。忙しくなって、

そのことばを思い出すと涙が出て止まらなかった。

ありがとうお母さん... お母さんもう一度会いたいよー。



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NO.2 こどもの夢はわたしの夢                             井上 休甫


 人間は、誰にでも他人に云えない悩みを、ひとつやふたつは持って暮らしているのだと、聞いた事がある。

しかし、その逆もあるのです。

私が47歳の時に生まれた息子は、この春、保育園の卒園式で、証書をいただき、そのあと「僕の夢、私の夢」と

題して何かを云わなければならなかった。

二人が帰宅して母親が云うには「正人は、「僕、大きくなったらお酒を造る人になりたいです。」と大きな声で云った

よ」と話してくれた。私は驚いた。「正人ほんとにそう思う?」問う私に、「うん!」と大きくうなずいてくれた。

日頃は、ケーキ屋さんになりたいとか、焼き鳥屋さんになりたいなど、コロコロ夢が変わるのをそれで良いと思って

いた。

今、日本酒をとりまく環境は非常に厳しい・・・。杜氏組合の会員数は、この40年で7分の1に激減している。この

状況を6歳の少年が知る由はないが、私は嬉しかった。そして、この思いを大切にのこすために、長期貯蔵酒の

ことを思い出した。

オリジナルのお酒をお願いし、文字入れは”納所保育園・卒園式 . 夢「僕、大きくなったらお酒を造る人になり

たいです」まさと平成16年3月27日”とお願いした。

子供が巣立つとき夢は何でも良い。とにかく、人生に夢や希望を抱いて欲しいのです。「夢は叶うものー、遠き道な

れど」、その為に私は頑張ろうと思う。十数年後、息子が酒を飲める年齢になる時の秘蔵酒の味を楽しみに。


               

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NO.1 松蔭                                      中島 美雪 
 

この秋、柳川に十名程の同級生を迎えた。出会いから、すでに半世紀にもなろうとしている。

今では毎年集うことが恒例になったが、参加者は二十名に満たない少人数になってしまった。

おおかたは変わらない顔ぶれだが、時折、何十年振りだという懐かしい顔が、ひょっこり現れたりして

驚かされる。

今回集まったクラスメートを案内したのはその昔、十二万石立花藩主の、殿様御殿と呼ばれた

別邸お花松濤園である。大広間の縁側に立てば、日本三景の松島を模して造られたという

大庭園が一望できる。

元禄十年から変わることなく残されているというたたずまいの中で、二百八十本と聞く松の古木は

池を巡り、水の中に配された数多くの島にも根付いている。

夕日が惜しみなく光を投げかける眺望に、二百年以上の年輪が変わらぬ松の緑を浮き立たせている。

冬を迎えると共に、この池には数百羽の鴨が飛来するという。その先達か、散在する岩にちらほら

羽を休めている姿が見られる。

夕食の膳に付く頃には、つるべ落としの陽は樹々の彼方に落ちて、茜色の雲を包むように東方から

薄墨色の黄昏が迫ってきていた。膳に並べられた有明海の珍味に加えて、唐津からきた友人と、

六十歳代後半に入っても尚、山に憑かれている地元の友人とが土産を披露した。

昨年クラス会の折、唐津の海辺のホテルで私が初めて出会った佐賀の銘酒と、アルプスみやげの

銘酒であった。

唐津の友人が披露したものは、今日の同期会の席にと、これを造った杜氏自ら贈られたものだという。

「どうしてなの?」

私の率直な質問であった。

「去年のクラス会に持っていったお酒、あなたがとても美味しかったって、私に礼状をくれたでしょう。

あれを彼に見せたのよ。あの中の言葉をとても喜ばれて、今日は杜氏ご本人からのプレゼントなの。」

思いがけない話であった。

酒の味は楽しんでも、決して杯を重ねる程呑めるわけではないが、美味しい酒は好きである。

たった一枚のハガキである。その中でほんの四行か五行にも満たない文字に託した感動が、このように

造る人へ伝わるなどとは、全く思いもよらないことであった。

杜氏の真心に、私は更に感動を覚えた。

「一樹の蔭、一河の流れを汲むも他生の縁」とか。

杯を汲み交わす級友たちの懐かし気な表情を前にして、ふっとこんな言葉が頭をよぎった。

重ねてきた年輪は人の上にも自ずと、穏やかな絆を育てて来たようである。

「雨後の青山」美しい名の旨い銘酒との出合いも、相通じるものがあるようだと、私はしみじみとした

思いにかられ、そっと縁側へ抜け出した。

少しばかりの酔いに、松風が心地よい。


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